化粧×女子大 〜シリーズ「女子大で学ぶ」⑦
2024/11/29
シリーズ「女子大で学ぶ」では、人間関係学科の教員が、女子大学で学ぶ意義を考え、発信しています。第7回は、化粧について女子大で学ぶ意義を考えます。
哲学を専門にしている私が、就職先として資生堂と出会い、美の発信を日々創造する一員として化粧の哲学を始めたのは1992年の春だった。以来、先人も後輩もいない唯一の存在として、化粧の哲学を切り開いてきた。そのような私に「大学で1コマ授業を持ってほしい」と声が掛かることが何度かあった。そのほとんどが女子大学だった。
やがて駒沢女子大学の専任教員になり、現在まで勤めているが、やはり女子大学だ。授業を依頼される際、毎回のように「女子大だからお化粧の授業があってもよいかも」というようなことを言われ、そのたびに大きな違和感を抱いた。しかし大学で授業ができるたいへん貴重な機会だから、毎回黙ってありがたく請け負った。
違和感があったのは、「女子大だから」の「だから」。因果関係を示すこの接続詞には、「女は化粧するものだ」という社会に共有された暗黙の了解が潜んでいる。そうした社会規範が違和感の源だった。
歴史を知れば、日本、西洋、アフリカなど世界各地で男性が女性以上に華やかに着飾って化粧をした時代があったことに気づく。(下の3点写真)歴史の始まりから20世紀半ば近くまでの長い間、化粧品などの美容に関する物も技術も極めて希少で高価で、社会の最上級層が独占していた。
豪華な衣服や宝飾品と並んで化粧は権力の象徴だった。市民社会になり近代化が起きた際に、市民の役割が確立され、同時にジェンダーロールが固定されたことで、化粧は「選ばれる性」に位置づけられた女性に限定された。
違和感を抱いた頃から四半世紀のいまでは、幅広い年代の男性も眉作りやスキンケアは定着し、タレントでない若い男性のメイクも珍しくなくなりつつある。化粧が、「したい人がしたいときにすればよい」ものになり、ジェンダーから解放されるなら、喜ばしいことだ。
(石田かおり)
“シリーズ「女子大で学ぶ」”について
このシリーズでは、人間関係学科の教員が、現代社会において女子大学で学ぶ意義を考え、発信しています。「もう男女で分ける時代じゃない、大事なのは“その人らしさ”」という考えに私たちも共感します。ただ、私たちは、そうした社会が実現するためにも、そうした社会で女性が生き抜いていくためにも、女性たちに寄り添った教育の場所が必要だと考えています。女子大学でさまざまな学生たちと接しながら、私たち教員が日々思うこと、考えていることについてお読みいただければ幸いです。