住空間デザイン学類 橘田スタジオ見学会レポート 体験! 旧国立駅舎と国分寺「沖本家住宅」
2023/10/18
橘田スタジオでは、卒業研究の調査やデザインの勉強を兼ねて、さまざまな専門分野の学外での体験学習活動を行っています。
7月末、橘田が長年保存調査活動に関わっている国分寺市にある国登録有形文化財「沖本家住宅」と、旧国立駅舎に、4年生スタジオメンバーと見学に行ってきました。
橘田スタジオ4年生の並木彩音さんの見学レポートをご紹介いたします。
沖本家住宅見学に際し、オーナーの久保様には大変お世話になり、貴重なお話も頂戴しました。
誠にありがとうございました。
住空間デザイン学類 橘田 洋子
旧国立駅舎
1926年に町の象徴として築かれ、その後80年間にわたり、多くの人々の行き来を見守ってきました。しかし、2006年にJR中央線の立体高架化工事に伴い、その存在は消え去りました。それに対し、多くの人々の惜しむ声や大規模な寄附が寄せられ、2018年に再建が始まり、2020年4月には「展示室」「まち案内所」「広間」「屋外スペース」などから成る小規模な複合施設として新たな姿を見せました。
建物内外には当時の建材が使用されており、例えばイギリスやアメリカ製の古いレール柱が使われています。建築の特徴として、イギリスの田園都市に見られる風景と共通するデザイン要素である、赤い三角屋根、白い壁、ロマネスク風半円アーチ窓、ドーマー窓などがあります。
現在の国立駅から木製の改札口をくぐり、広間に足を踏み入れると、気温も高かったことからさまざまな年齢や性別の人々がベンチに座り、ひと休みしている様子が印象的でした。また、平面図や手書き図面、軸組み模型などを通じて、建物の間取りの変遷や、国立大学町の発展に関わる「理想の学園都市」の構想が展示されており、国立駅舎に込められた思いが伝わってきました。
沖本邸について
昔は豊かな農村地域で広がる田畑が国立や国分寺エリアの風景を彩っていました。今の沖本邸の場所には元々、畑が広がっており、そこに中央線の開通により、線路で分断された畑部分に、貿易商の土井内蔵の別荘として、アメリカ帰りの建築家川崎忍の設計により建てられたそうです。その後、この別荘は友人の沖本至さんの手に渡り住居として利用、家族や仕事仲間とともにここで過ごし、さらに娘さん姉妹が長くこの地に暮らすこととなります。継承する子孫がいなかったため、親しく交流があった現在のオーナー久保さんのお嬢さんに譲渡されることとなったそうです。久保さんはこの土地・建物を維持、守り残すために、カフェとして改修し、沖本邸は新たな形で地域に息づく場所として、歴史と現代が交わる魅力的な場となりました。
洋館について
現代の時代において、窓枠がサッシに置き換えられていても不思議ではありませんが、この家では奇跡的に窓枠は当時の木枠のままで、洋風のデザインが保たれています。また、窓の開き方も日本的な引き違い戸が採用されているという点が面白いです。1階にある窓には、室内側に防犯を考慮した木枠が設けられていることや、風の通りを良くするための工夫が見受けられます。扉の上部が開けられる仕組みや、回転する窓、階段に風を通すためのダクトも備えられていたことなど、クーラーがなくても快適に過ごすためのアイデアが数多く凝らされていました。
リビングには、暖炉や当時から使われているソファが配置されており、カフェとなった現在も、実際に座ることや見ることができ、当時の雰囲気や暖炉の温もりを感じることができます。また、内装も面白いポイントがたくさんあり、アメリカで流行していたプラスティックペイントに似た仕上げが、日本の左官職人によって再現され施されていた点や、ヘリンボーン風の幾何学的模様が内外にあしらわれていることが挙げられます。
全体として、この家は当時の工夫とデザインが見事に保たれており、歴史的な魅力と現代の視点が交わる場所になっています。
2階には2つの寝室と屋根裏収納があります。現在は団地が建ってしまい、その景色はかなり遮られてしまいましたが、2階から富士山を望むことができます。現オーナーによってデザインされたガーデニングも楽しむことができます。今回は見ることができませんでしたが、屋根裏収納には焼夷弾の流れ弾によって発火し、市民の方々が協力してバケツリレーなどで消火した痕跡が残っているそうです。
北側の寝室は、他の部屋と同様の洋風の意匠が採用されていますが、着物の生活や骨董品、美術品などを保管する必要があったためか、畳も敷かれるなどして、和の要素も取り入れられています。このような工夫により、洋風の住まいの中でも和の暮らしを楽しむことができるように配慮されていたようです。
和館について
数年後、沖本さんは和館を建築しています。洋館をメインで使用し、和館はお客さんをお招きする接客の間になっていたようです。
数寄屋大工さんの手によって建てられた和館は、施工完了まで多くの時間を要したとされています。この家は大工さんの細やかなこだわりが反映されており、その特徴的な点がいくつも見受けられました。
素朴なこぶしのような材料が使用されていたり、欄間も豪勢なものではなく、すっきりしたデザインになっている等、都会的すぎず、かといって過度に精緻化されない粗野な部分が残されていると感じました。
神棚を見ると、太陽と月のように配置されたデザインが施されており、ふとしたところに良い素材が使用されていたりと、さりげないが繊細な工夫やこだわりというのが見受けられました。
さらに、窓にはめられているガラスや柱も特徴的でした。当時は木造モジュールが主に使われていた時代ですが、普通の窓よりも幅広く異形なサイズの窓ガラスが採用されています。さらに、窓ガラスが昭和12年、当時のまま維持されているということに驚きました。
さらに目を引かれたのは、建物の柱の細さです。この家の柱は意図的に細く作られており、当時は高い建物もなかったことから窓から見ることができた、広大な景色はどれほどきれいだったのだろうと思います。戦争の爆撃を受けた跡も壁に残っており、それが当時のまま維持されていることは奇跡的だなと感じました。
住空間デザイン学類4年 並木 彩音