「運動会」にみる近代の日本文化

幼稚園や学校で運動会が開催されるシーズンとなりました。「運動会」は、春や秋の季語であり、代表的な季節行事です。

「運動会」の歴史は比較的新しく、広場に集い、陸上競技や遊戯をする行事は、19世紀初頭にイギリスで始まったとされています。日本では1872(明治5)年に学制が公布され、近代的な学校制度が発足しましたが、それとともに運動会が普及することとなりました。もっとも、「運動会」の名前は早くからあったものの、明治初期には「運動」にスポーツの意味がまだなかったため、当初は現在でいう「遠足」を指していたようです。

1874(明治7)年に行われた、東京築地の海軍兵学寮における「競闘遊戯会」が、現在の運動会のさきがけといわれています。外国人教師の指導のもとに高等教育機関において開催されていた行事が、その後小学校にも広まりました。
1890(明治23)年の同胞社編『絵入運動会』(細謹舎)には、小学生徒のための「運動唱歌」が掲載されており、

我こそ勝めまけまじと 互に勇をはげまして
器械体操や徒手体操 又は綱引き旗奪ひ
其外種々の運動を なさん心や勇ましゝ

といった歌詞があるので、明治20年代には、現在の私たちのイメージに近い運動会が小学校で行われていたと考えられます。大正期には小学校の校庭の整備が進み、神社の境内などで行われていた運動会は、校内で開催されるようになりました。

  • 同胞社編『絵入運動会』(細謹舎、1890年)より。(国立国会図書館デジタルコレクション)
    同胞社編『絵入運動会』(細謹舎、1890年)より。
    (国立国会図書館デジタルコレクション)

海外にも運動会に相当する学校行事はありますが、日本の運動会は教育目的で始められたものであり、事前に十分な練習・準備をして臨む、整列して行進するといった点が海外から驚かれることもあるようです。運動会は、日本における近代的な学校教育の象徴といえるでしょう。

  • 初等教育研究会編『小学校体操教授書』(大日本図書、1913年)より。(国立国会図書館デジタルコレクション)
    初等教育研究会編『小学校体操教授書』
    (大日本図書、1913年)より。
    (国立国会図書館デジタルコレクション)

ところで、上の図のような運動会の競技のことを、みなさんは何と呼びますか。明治後期から大正期の教授書を見ると、「騎馬戦(闘・争)」と「擬馬戦(闘・争)」が混在しており、上記『小学校体操教授書』では「擬馬戦闘」としています。人間が馬を模していることからすれば、「擬馬戦(ギバセン)」の方が実態に即していると思うのですが、日本語では濁音の連続は嫌われがちであるため、語頭が濁らない「騎馬戦(キバセン)」が定着することになったのでしょう。

「運動会」を通して、明治期から受け継がれ、そして変容していく日本文化の一側面を見ることができます。

石川 創

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