お盆・お正月から考える日本人の休暇

今年も早いもので折り返し地点を迎えました。かつて7月1日は釜蓋朔日(かまぶたついたち)と呼ばれ、地獄の釜の蓋が開き、先祖の精霊(しょうりょう)が家々に向かってあの世を出発する日、つまりお盆が始まる日と考えられていました。1月1日の正月朔日はお正月の始まりですので、お盆とお正月は、1年をちょうど二分する対比的な行事との捉え方があります。

7月7日の七日盆(七夕)と1月7日の七日正月(七草)、7月15日の盂蘭盆(うらぼん)と1月15日の小正月、7月20日の裏盆(終い盆)と1月20日の骨正月(終い正月)のように、7月のお盆と1月のお正月には、たしかに対応関係が認められます。7月7日は七夕ですが、かつては墓掃除や仏壇へのお供えなど、お盆を迎える準備の日でもありました。

また、行事の内容面でもお盆とお正月には類似性が見られます。お盆に迎え火・送り火を焚くのに対して、小正月のどんど焼きもたしかに火祭りです。お盆には盆棚を設け、盆花を飾り、先祖の精霊を迎えるのに対して、お正月には年棚を設け、門松を飾り、歳神様(としがみさま)を迎えます。

江戸時代以前の旧暦は、月の満ち欠けと日付が対応していましたから、新月となる1月1日と7月1日、満月となる1月15日と7月15日に、お正月とお盆の起点やピークが設定されたものと考えられます。また、2月と8月、6月と12月の行事にも、対応関係が見られるものが多いことから、かつての日本では1年を1~6月と7~12月に両分し、半年単位で類似する行事を繰り返していたのではないかとの説も提示されています。ただし、その背景については必ずしも定説はなく、両分性のみで日本の年中行事を捉えることにも注意は必要です。

さて、江戸時代の商家の奉公人(ほうこうにん)は、1月16日と7月16日の1年に2度休暇が認められ、実家に里帰りして先祖の墓参りをする習慣がありました。これは藪入り(やぶいり)と呼ばれ、お正月休みとお盆休みの原形とも言えます。休暇という観点からは、かつての日本人が半年ごとのサイクルで、1年を過ごしていたと捉えても差し支えないでしょう。

ところが、明治時代に新暦が採用されると、お盆は旧暦の季節感を大切にして、8月に行う地域が増えていきます。現在では8月15日前後に、月遅れのお盆を実施することがかなり一般的なようです。これに伴って日本人の長期休暇も、年末年始の正月休みと、8月中旬のお盆休みが定着していきます。つまり、正月休みからお盆休みまでが7カ月半、お盆休みから正月休みまでが4カ月半のように、1年を半年ごとに両分していたサイクルは崩れていったのです。

こうした中、4月29日の天皇誕生日(昭和天皇)、5月3日の憲法記念日、5月5日のこどもの日のように、祝日が多いこの期間がゴールデンウィークと呼ばれるようになりました。これは昭和26年(1951)に、ある映画会社が客足の多いこの時期を、ゴールデンウィークと名付けたことが定着したものと言われています。その後、昭和60年(1985)に祝日と祝日の間が国民の休日とされたことや、平成17年(2005)の国民の祝日に関する法律の改正などを経て、ゴールデンウィークは、正月休みやお盆休みと並ぶ日本の長期休暇となりました。

正月休みからゴールデンウィークまでが4カ月、ゴールデンウィークからお盆休みまでが3カ月半、お盆休みから正月休みまでが4カ月半。現代の日本では、1年をほぼ三分したこのサイクルが、新たな休暇文化として定着したと言えるでしょう。

下川 雅弘

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