桜の花と日本人
2022/03/29
今年も桜の花がほころぶ季節となりました。日本の国花である桜は、いにしえの時代より、日本人にとって大切な存在として歌や絵画のモチーフとなってきました。
「花見」といえば、桜の花の下で宴会をしている情景が思い浮かびますが、庶民によるそうした風習が広まったのは、江戸時代以降のことです。
平安時代、9世紀の宮廷において、花を見ながら文人に歌を作らせたのが、花見の原型とされています。これは貴族の遊びとして大いに広まりました。鎌倉時代になると武家の間にも行われるようになり、種々の芸能も催される華やかな行事となりました。
江戸時代になると、大名だけでなく、町人も花見に出かけるようになりました。しだいに集団で花見を楽しむようになり、また花を愛でることよりも座興を楽しむことが主となっていったため、並木桜の下での花見が一般的になったようです。
ところで、現在では「桜」というと、ソメイヨシノを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、ソメイヨシノは明治期以降に広まったものです。
オオシマザクラとエドヒガンの雑種が、明治初期に東京・染井(現在の巣鴨付近)の植木屋で売り出され、はじめはヨシノザクラ、のちにソメイヨシノと名付けられました。現在では一部地域をのぞき、全国的にソメイヨシノが植栽されています。
ソメイヨシノ以前の桜の「主役」だったヤマザクラが、赤茶色の葉とともに花開くのに対し、ソメイヨシノは葉が開く前に木の全体を花が覆うように咲きます。そのほか、日本には多くの種類の桜がありますが、樹木の一面に咲きほこるソメイヨシノの姿が、近代以降の日本人の好みにあったのでしょう。
このように、「いま」と「むかし」において、日本人が目にする桜の姿は同じものではありません。桜に限らず、江戸時代にはツバキやキク、アサガオなど、種々の植物において品種改良が試みられ、いろいろな花が生み出されました。
日本人は自然と共生するなかで、その美しさに心ひかれ、草木や花を愛でてきました。そして、いにしえからの姿を受け入れるだけでは満足せず、「自然」に手を加え、自分たちの好みに合わせた新しい「自然」のかたちをも生み出したわけです。
「本来の自然のありようを大切に受け継いでいく」ことが日本人の美徳である、というように語られることがありますが、桜の花は「自然の姿を人工的に改変し、くらしの中に取り入れてきた」という、日本人と植物との関わりについての多様な側面を教えてくれます。
石川 創