「ひなまつり」にみる日本の文化

3月3日はひなまつりです。最近は、七段にひな人形を飾り、桃の花や雛菓子を供えて、白酒でお祝いをする家庭は少なくなったかもしれませんが、それでも年に一度のお祭りとして、楽しみにこの日を迎えているのではないでしょうか。

中国における上巳(3月3日)のみそぎの行事にならい、日本の朝廷においても川辺に出ておはらいを行い、宴をしたことが、ひなまつりの起源であるといわれています。平安時代の『源氏物語』須磨巻にも、三月上巳の日の記述として、「この国に通ひける陰陽師召して、祓せさせたまふ。舟にことごとしき人形(ひとがた)のせて流すを見たまふにも……」という一節があり、「ひとがた」を流しておはらいをしていたことが分かります。現在でも一部地域に行われる「流しびな」は、古くからの風習が伝承されたものといえるでしょう。

  • 一竜斎国盛 画 安政4年(1857)(国立国会図書館デジタルコレクション)
    一竜斎国盛 画 安政4年(1857)
    (国立国会図書館デジタルコレクション)

ひな人形をひな壇に飾り付けるような、現在のひなまつりの形ができたのは、江戸時代に入ってからです。初期のころには男女一対の紙びなであったのが、しだいに重ね壇に内裏びな、三人官女、五人囃子などの土焼きの衣装人形や道具が整えられるようになり、女の子が生まれるとひな人形を贈るという風習も広まったようです。明治期に入ると、こうした傾向が商業的にいっそう推し進められることとなりました。

明治期から昭和初期にかけては、ひな人形を贈る手紙、またそのお礼の手紙の文例を記した本が出版されており、親族の女性が女の子にひな人形を贈ることが広く行われていたことが分かります。昭和期までにおいては、七段のひな人形が大いに流行しました。

現在では、七段の飾りはかなり格式高いものと意識され、三段や五段の飾りも見られます。その他、マンションやアパート住まいの家庭が増えたこともあり、内裏びなのみを飾るという家も多いのではないでしょうか。ひな人形の当初は男女一対の紙びなであったことを考えると、原点に回帰したともいえます。

  • わが家のひなまつり(筆者の実家)
    わが家のひなまつり(筆者の実家)

「おはらい」を発端とする日本のひなまつりは、江戸時代においてはひな人形を主体とするお祝いの行事となり、その人形も格式高く、豪華になっていったものの、平成期以降は少しひかえめとなり、現在にいたることが分かります。住宅事情という要因もあるかもしれませんが、拡大・発展していったありようが「本来」の方向へ回帰していくというのも、日本文化の一側面であるといえるでしょう。

石川 創

日本文化エッセー :新着投稿