カレンダーにみる日本人のスケジュール管理

石川 創

新しいカレンダーに変えることは、新年を迎えた1月の恒例行事ではないでしょうか。私たちの生活に欠かすことのできないカレンダーは、いつ頃から日本にあるのでしょうか。

すでに飛鳥時代には中国大陸から伝わっていた暦ですが、江戸時代になると、三重県の伊勢神宮や静岡県の三島大社など各地の神社でも暦が作られました。伊勢神宮で作られた暦は「伊勢暦」と呼ばれ、伊勢神宮にお参りにきた参詣者たちのお土産品として重宝されていました。この暦には、種まきの日など、一年間の農作業のための情報等が印刷されており、農家にとって大変重要な情報源でした。なお伊勢暦には、今のカレンダーのように、メモを書き込む余白はありませんでした。

  • 万治3年(1660)の伊勢暦 (国立国会図書館デジタルコレクション)
    万治3年(1660)の伊勢暦
    (国立国会図書館デジタルコレクション)

現在の1年365日のカレンダーが登場するのは、明治6年(1873)以後のことです。この年に、それまでの太陰暦から太陽暦に変更されたためです。1900年頃から「カレンダ(ー)」「カレンダリ」といった、現在のカレンダーにつながる呼び方が見られるようになります。

カレンダーの中には、1日1日めくる、日めくりタイプもあります。「日めくり」という言葉は、古い日本語のように感じますが、実は日めくりカレンダーが生まれたのは明治36年(1903)のことで、当初は「めくりごよみ」とも呼ばれました。大正3年(1914)の高村光太郎『道程』には、「めくり暦」という詩の一節に「昨日も今日も裂いて取る」とあります。

私たちは、日付や曜日を確認するだけでなく、カレンダーに予定を書き込んだりします。
大正11年(1922)の有島武郎『星座』にも、「柱のめくり暦は十月五日を示して、余白には、その日の用事が赤心(あかしん)の鉛筆で細かに記してあった。」とあり、カレンダーに予定を書き入れ備忘録とする、いまの私たちと同様の使い方が見られます。

  • 川俣絹布整練株式会社明治四十三年カレンダー (国立国会図書館デジタルコレクション)
    川俣絹布整練株式会社明治四十三年カレンダー
    (国立国会図書館デジタルコレクション)

このように、江戸時代に暦は農作業の予定を決めるための重要なものでしたが、時代が下り、大正頃までには、カレンダーを使用する人の予定を新たに書き込むためのものへと変化していったことがわかります。このように、カレンダーの歴史を見ると、日本人のスケジュール管理の変化を知ることができるのです。

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