日本文化ゼミ探訪 ―江戸時代の旅日記から日本文化を学問する―
2022/07/06
私たちは、長い休みのときなど、家族や友人と旅に出かけることがあると思います。
旅に出かけると、名所・旧跡を訪れたり、景色を楽しんだり、また温泉に入り、ご当地の名物を味わうなど、まさに日常生活から解放され、大変開放的な気分になります。
現代の私たちの旅の原点は、江戸時代の庶民の旅にありました。
ゼミでは、165年前の安政4年(1857)に下野国都賀郡久我村(現在の栃木県鹿沼市下久我)の住人である篠原理右衛門清澄(しのはら りうえもん きよずみ)が50歳の時に、伊勢神宮や高野山などの西国の神社や寺院をお参りする旅の記録、『伊勢参宮道中記』(いせさんぐう どうちゅうき)を読んでいます。
主人公の篠原は、久我村から出発し、小山宿から日光街道を通り江戸に出て、江戸見物を行っています。その後、東海道を西に進んでいきます。その途中、相模国(現在の神奈川県)の風光明媚で有名な金沢八景、鎌倉、江の島などの観光地も訪ねています。
現在、東京タワーやスカイツリーの展望台には、遠くの景色をみるために有料の望遠鏡が設置されています。このように、有料の望遠鏡で景色を見せるようなことはいつ頃からあったのか、ご存じですか。
この道中記には、金沢八景を見下ろせる高台にある能見堂(のうけんどう)に設置されていた望遠鏡で、金沢八景の景色を楽しんでいる場面が登場します。この道中記には書かれてありませんが、この望遠鏡は有料であったようです。
今から160年以上も前の江戸時代末には、能見堂などの風光明媚な景色を見渡せる場所に、有料の望遠鏡が設置されていたのです。
道中記はくずし字で書かれてあり、最初は読解することに苦慮します。
しかし、ゼミ生全員で意見交換しながら、くずし字を読解していくと、少しずつ読めるようになっていき、さらに金沢八景の望遠鏡などの事実がわかると、それまでの苦労も解消されます。
このように、ゼミ生全員で同じ記録を読み解き、そこに書かれた内容を共有し、また「望遠鏡」などの用語から当時の文化や、現代の文化との関わりなど、日本文化に対する視点を広げることができます。いま、ゼミでは、日本文化の学びを深める上で、資料を読み込むことの大切さを実感しつつあります。
皆川 義孝