おにぎり・おむすびと日本文化の西東

うららかな日和の休日には、お弁当を持ってピクニックに出かけたくなります。いろいろな具を用意して、おにぎりを握る時間も楽しいものです。

奈良時代の『常陸国風土記』には、「にぎりいひ(握飯)」の語が見られます。平安時代には、兵糧や、祝賀の場に出される握飯のことが、「屯食(とんじき)」と呼ばれていました。『源氏物語』桐壺巻でも、光源氏の元服の儀において、下の身分の者に「屯食」がふるまわれたことが記されています。

「にぎりいひ」は、室町時代後期ころまではその呼び名が一般的であったと思われますが、このころから、ごはんを指すことばとして「めし」が使われるようになり、江戸時代になると、「にぎりめし」の語が多くあらわれるようになりました。
江戸のにぎりめしは丸型か三角型、関西のにぎりめしは俵型というのは、よくいわれる文化の東西差です。もちろん、整然と西と東で区別できるわけではなく、四国松山地方では長三角の型であり、秋田では焼いたにぎりめし(焼きむすび)の変形としてきりたんぽが作られるなど、各地で独自の進化を遂げています。

  • 井元水明 著『花嫁人形帖』、鶴書房、昭和24. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1168902 (参照 2023-05-07)
    井元水明 著『花嫁人形帖』、鶴書房、昭和24.
    国立国会図書館デジタルコレクション
    https://dl.ndl.go.jp/pid/1168902 (参照 2023-05-07)

文化の東西差といえば、「おにぎり」・「おむすび」の名称もそれにあたります。「にぎりいい、にぎりめし」から変化したと思われる「おにぎり」は西日本、「(お)むすび」は東日本の呼称です。
令和の現在においては、若干の違和感があるという人もいるかもしれませんが、東京語では本来「おむすび」です。東京語に基づいて作られた、戦直後である昭和22年の小学校の教科書(国定読本)においても、

……なさけのある人とみえて、台所の方からおむすびを一つにぎってきて、
「さあ、これをおあがり。」
といってくれました。

(「幸福」、文部省編『国語 第四学年 中』、東京書籍、1947年。
確認は1949年の修正翻刻版、54頁*)

とあり、「おむすび」が東京語として一般的であったことがわかります。
近年では、西日本の「おにぎり」が東日本に入った結果、「おにぎり」が全国的に一般的な呼称になりつつあります。

西日本と東日本における文化の違いはよく指摘されることであり、にぎりめしのかたちの上でもそれは見られるのですが、名称の上では西日本の「おにぎり」が東日本を覆うように広がるなど、常に対立するわけではありません。
コンビニエンスストアのおにぎりは、関西でも三角型や丸形のものが多く売られており、その結果、西日本=俵型というイメージはかつてほどではないでしょう。

西と東の文化が影響を与え合い、新しい姿になりつつある「おにぎり」は、現代においても進化を続ける日本文化のありかたを、わたしたちに教えてくれます。

石川 創

  1. * 「広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース」https://dc.lib.hiroshima-u.ac.jp/text/所収の資料を閲覧・確認しました(2023年5月7日閲覧)。

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