被災地で働く卒業生(1980年度卒業 岩手県陸前高田市地域子育て支援センター「あゆっこ」 子育て相談員 菅原実黄子 先生)

岩手の田舎から上京して心細かったのを想い出します。あれから37年、この様な形で母校と関わりを持たせて頂けるとは夢にも思いませんでした。

平成23年3月11日。あの日のことを今も忘れることはできません。東日本大震災によって起こった津波が、私の住んでいる陸前高田市を襲いました。当時、市立今泉保育所内の地域子育て支援センターで働いていた私は保育所の子ども達と必死に崖を登り、山中を逃げ助かりました。その時の子どもの怯えた様子は今も鮮明に覚えています。

陸前高田市が壊滅して未入所児童やママが集う場所もなくなり、絶望的な日々のある日、地元紙の記事に目がとまりました。それは懐かしい母校「駒沢女子短期大学」の文字でした。この地に支援にいらしていたことを知った私は一筋の光を感じとても嬉しく思い、気がつくと受話器に手をかけていました。

それが小山先生との「出会い」でした。

それから7年有り難いご縁によってたくさんの素晴らしい出会いに拡がりました。お花の寄せ植え(JICA)やプランター作り(駒沢女子大学)、そして清掃作業まで先生方や学生さん達にも尽力して頂き、感謝の日々を過ごしております。

私が震災で体験した命の大切さや日々の危機管理、保育士としての子どもの守り方などを学生さんに伝える機会もいただきました。実体験を聞く学生はいつも真剣な眼差しで時には涙する方々もいます。私の話が少しでも心に届いてくれているのなら、そしてできることならば、その時感じた思いを友人に伝えて、自分にも起こりうる教訓として忘れないでほしいと願います。
震災で多くの大事なものを失いましたが、素晴らしい出会いによって、かけがいのない宝物ができました。

私が37年前に駒沢女子短期大学でお世話になったことが、この様なご縁に繋がったものと感じております。歯をくいしばって前を向けるのは、皆様の心に寄り添ったご支援、そして支えがあるからこそでしょう。人間関係が希薄になり、結びつきが少なくなった現代社会で、母校の活動には大変誇りを感じております。
今後益々のご発展を祈念しております。

余談ですが、学生時代の授業(音楽等)は生半可な気持ちでは受けられませんでした。自分の時間を削ってのレッスンは本当にハードでした。でもその時の努力と愛のムチがあったからこそ在学中には数々の名曲を弾かせていただくことができたと思っており、先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
現在は仮設なのでピアノを置くことはできませんが、保育所勤務に戻ったらまたきっと役にたつと楽しみにしているところです。学生の皆さんも今は大変なこと、苦しい事がたくさんあるかもしれません。でもそれは必ず自身の糧となり将来へつながるはずですよ。
夢へ向かって一歩ずつ前進してください。

  • モーランド本吉へ遠足 手を開いて伸ばしているのが私
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