狐のモノノ怪
―世界とつながる日本の文化―

国際日本学科 山本 元隆

「狐につままれる」「狐は七化け、狸は八化け」――化けて人を惑わす狐のイメージは、老若男女を問わず現代の日本文化に深く根付いています。狐につままれるかのごとき不可思議な伝承は、平安初期の仏教説話『日本霊異記』(巻上-2「狐為妻令生子縁」)を嚆矢とし、以降、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などに種々多様な霊験譚として語り継がれてきました。

近世にも狐が化けて人を惑わす、いわゆる「妖狐」の伝承が少なくありません。江戸中期の説話集『続沙石集』には、著者・南溟(浄土真宗の僧)が人伝に耳にしたリアルな妖狐説話が複数筆録されています。愛する妻を喪い悲嘆に沈む者、シクジリに痛恨の念を抱く者、神識呆然として山路に迷う者らが狐に化かされ、あるいは憑りつかれ、世にも奇妙な体験をしたといいます。

にわかに信じ難い伝承ですが、その真偽はさておき、これら妖狐説話に対する著者(南溟)の論評がじつに冷静かつ理知的です。狐に惑わされるのはひとえに人の理性不明瞭(明徳の昏蔽)によるものであり、南溟は総じて「狐は人を惑わさず、人、狐に惑わさるるなり」と訓戒しました。

南溟と同調のコメントは、海を越えた中国の禅のテキストにも見られます。迷走するとんちんかんな修行僧に対し、禅匠はしばしば「這野狐精!出去!」(この“野狐”に憑りつかれた者よ! 出て行け!)と喝破しました。ここにいう「野狐」(やこ)とは、狐の妖怪(モノノ怪)のことです。禅では、人を誑かす “ニセモノの禅僧”を「野狐禅」(やこぜん)と称します。唐代の禅僧・百丈懐海には、野狐(やこ)に堕した者を説破して大悟させたエピソード(百丈野狐)もあります。“狐のモノノ怪”は、どうやら日本の文化にのみ存在するものではないようです。ちなみに「野狐」(やこ)は日本でも「妖狐」の一種と位置付けられています。

日本独自の文化的事象と思われがちな“狐のモノノ怪”ですが、視座を海の外にまで広げ俯瞰してみると、日本と東アジアの“文化的なつながり”に気づかされます。今日のグローバル社会においても、異文化に目を向けながら身近な日本の文化を多角的に捉える視点は、今後の“多文化共生”のあり方を考究するうえでより一層必要になってくると考えています。

  • 駒沢女子大学図書館所蔵『続沙石集』
    駒沢女子大学図書館所蔵『続沙石集』

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