【日本文化学科】「研究余滴」9

日本文化学科 佐々木 俊道

日本文化における霊魂観と祖先崇拝

1、問題の所在

今年も暑いお盆が無事終わった。毎年、私が住職をしているお寺の盆の棚経は、一年の内で唯一体力勝負の過酷な壇務である。

思えば、檀家回りを始めたのは、大学生となった年からである。当時は、普通の学生が行うアルバイトの感覚であった。

その当時は祖父と父、私と総勢三人で、それぞれ分担して檀家回りをしていた。父親からある地域のお盆の習慣について教えられた。そこでは、朝と夕方、お盆の時期には毎日、お墓参りに行くので、不在になるから、その時間帯を避けて訪問するように言われた。

私は一つの疑問を持った。お盆は自宅にご先祖様がお帰りになっているのに、なぜ、わざわざお墓参りに行かなければならないのかという素朴な疑問である。

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研究者となった現在は、もちろんその疑問に関する、それなりの回答を得ている

そうした経験がきっかけとなり、日本人の宗教文化、特に霊魂観に関する研究を続けて今日に至っている。

こうした風習に関する解釈は、仏教の教え、教義を紐解いても理解出来ない。仏教が伝来する以前から日本人が持ち続けた古来より現代まで残存する土着の霊魂観を理解しないと説明することは困難である。学問分野で言うと仏教民俗学を学ばなければならない。

日本民俗学の祖、柳田國男による『先祖の話』をはじめ、幾多のそれに連なる研究成果により、今日では一応、学術的に霊魂観のパラダイム、理念型が提示されている。それらを視点として日本人の祖先崇拝に関する様々な問題を読み解くことが出来る。

2、日本人の霊魂観

日本人は死ぬと魂が抜けると考えた。これは日本に限らず人類共通の考え方であるが、特に日本では人から出たての魂を新(荒)魂(あらみたま)として人にたたる、災いをもたらす恐ろしい存在だと考えた。そこで、その魂を供養して鎮めなければならないと考えた。すると和魂(にぎみたま)に変化するのである。しかし、それで終わりではない。さらに供養してあげると家、里から離れ、やがて奥山へと至りご先祖さま、カミ、ホトケの仲間入りをするのである。そして、あちらからこちらを守護してくれるのである。しかし、祀り続けないと、その魂は、また荒魂(もののけ)に戻って災いを引き起こすのである。こうした営みは、日本人の原風景、里、里山、奥山という空間で展開される。

原風景とは、そもそも農山村育ちに限らず、日本人の多くが懐かしいと感じる景色である。日本は言うまでもなく、島嶼部を除き、どこからでも山が見える。そして近くにあるのが里山で、遠くに青く霞んで見えるのが奥山である。奥山には前に述べたように、死者からカミ、ホトケ、もののけまで棲んでいるのである。

よって日本の祭りのほとんどは、奥宮からカミを里へ招き入れ、御神輿に乗せたり、芸能や食事でもてなしたりすることにより、喜ばせ、パワーアップさせて、また奥へ帰って頂くと里に恵み、実り、富みをもたらしてくれるのである。

それは、ちょうど奥山の自然は障らないようにし、里山を手入れすると、きれいな水を得ることが出来、里を潤し、また雨になって奥山に帰っていく循環に呼応するのである。

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3、仏教の祖先崇拝

こうした土着の霊魂観と仏教は融合・複合・習合して現代まで、民俗仏教、葬祭仏教等、様々な用語で呼ばれる仏事が営まれている。

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人が亡くなると仏教では、葬式をする。特に禅宗では、死者に戒名を授けて、仏弟子にするのである。戒名は親から頂いた俗名に対して、僧侶としてのもう一つの名前である。仏弟子になった霊は供養されることにより、四十九日をもって成仏するのである。つまり、弟子からかみ、ほとけとなり、ご先祖の仲間入りをして家から離れて他界、極楽浄土におもむくのである。これは荒魂から和魂へと変化する古来の霊魂観と対応するのである。さらに、一周忌から三十三回忌もしくは五十回忌の弔い上げまで法事を営むことにより確固たるかみ、ほとけ、ご先祖さまの地位を確保し続け、家族、子孫を見守るのである。

4、報恩感謝

さて、そこで仏教の先祖崇拝で重要となる装置が仏壇の中に収める位牌とお骨を収める墓である。これらは、お祭りの時にカミ様を呼び出し、憑依させる御神輿、座と共通な依り代である。位牌や墓の前で先祖を思いだすと、そこに帰って来るのである。そして供養するとご先祖も元気付けられて、パワーを増し、あちらに帰ってから、こちらを守護してくれるのである。しかし、仏教では、さらにそこに報恩感謝の気持ちが付随するのである。あちらに旅立った親のことを思い出すと、子供なら当然、生前の思い出が自然に浮かんで来て、こんな事を言ってくれたな、また、こんなことをしてあげれば良かったと後悔と共に自分も親に恥ずかしくないように頑張らなければという思いが生ずるものである。

つまり、それは先祖を通じて、自分自身を見つめることでもあるのである。そして、さらにご先祖さまが居て、その縁を頂いてここにこうして生かされている自分を自覚するのである。だからこそ、この生をより尊いものとして、一生とは自分だけのものではなく、ご先祖から頂いたものだからこそより大切にしなければいけないのだという仏教的報恩感謝に結び付くのである。

5、疑問の回答

ここまで述べると、最初の疑問は容易に解決出来るであろう。つまり、死者も霊魂もかみもほとけも日本の場合には移動するのである。だから、お盆にお墓参りをするという一見矛盾する行為も日本人の霊魂観、日本仏教の祖先崇拝から考えると決して不自然ではないことが理解されるのである。

再び柳田國男『先祖の話』「先祖祭の観念」に以下のような記述がある「私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、恐らくは世の初めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。これがいずれの外来宗教の教理とも、明白に食い違った重要な点であると思うのだが、どういう上手な説き方をしたものか、二つを突き合わせてどちらが本当かというような論争はついに起こらずに、ただ何となくそこを曙染(あけぼのぞめ)のようにぼかしていた。」。この柳田の曙染という表現こそが、これまで述べてきた、日本人の土着信仰と仏教との微妙な関係を保持しつつ曖昧模糊とした霊魂観を端的に言いあてた記述である。このことからもう一度、柳田に立ち帰って様々な問題を考察してみたいと考える。

注:文中ではカタカナの「カミ」・「ホトケ」は土着的観念、平仮名の「かみ」・「ほとけ」は土着宗教と仏教が複合した民俗仏教的な観念として区別している。

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