【日本文化学科】「研究余滴」8
2015/08/19
日本文化学科 石川 創
スタジオジブリの映画『風立ちぬ』(2013年)の作中で,ヒロインが「きっと父が大心配(おおしんぱい)しています」と口にするシーンがあります。このことばを聞いて,違和感を覚えた人もいるのではないでしょうか。
ことばの頭に付いて,意味を添える要素を「接頭辞(接頭語)」と呼びます。接頭辞「大」は「程度がはなはだしい」という意味を添える役割を持ちますが,「ダイ」と読む場合(音読み=漢語)と,「おお」と読む場合(訓読み=和語)とがあります。現代の日本語では,基本的に「ダイ」は漢語に,「おお」は和語に付けて用いられます。「大心配」(おおシンパイ)に違和感があるのは,「心配」が音読みの語(漢語)であるのに,接頭辞として訓読みの「おお」(和語)が付いていることが原因でしょう。
しかし,明治期から戦前ころにかけては,現在では用いられない語形も少なからず見受けられます。たとえば,樋口一葉の「ゆく雲」(1895年)には,「大心配(おほしんぱい)を致すよし」,「大賛成(おほさんせい)に候」などの例があります。大正から昭和初期ころが舞台の『風立ちぬ』に「おおシンパイ」があらわれたのは,当時の言語状況を踏まえてのことでしょう。
ただし「心配」は,元々が「こころくばり」という和語に漢字をあて,音読みをしたものが一語化したもの,すなわち日本で作られた漢語(和製漢語)であるので,本来的な漢語に比べ和語の接頭辞「おお」が付きやすかったということはあるかもしれません。「火事」という語も「ひのこと」という和語に漢字をあて,音読みをしたものが定着したものですが,現代でも「大火事」は「おおカジ」と読むのが一般的です。
このように語の出自の問題もあり,「ダイ+漢語」・「おお+和語」という原則は絶対的なものではありません。「大好き」などは,江戸時代から「ダイすき」であったようですし,上記の「大賛成」のように,明治期から読みが変わった例も存在します。この百年ほどを振り返るだけでも,「大」の世界は大騒動です。さて,「大騒動」はどのように読みますか。
※樋口一葉「ゆく雲」(雑誌『太陽』第1巻第5号)については,国立国語研究所編『太陽コーパス雑誌『太陽』日本語データベース』(博文館新社,2005)より本文を引用しました(山口昌也氏(国立国語研究所)開発の全文検索システム『ひまわり』ver.1.5.3を用いて検索,一部のルビを省略)。