【日本文化学科】「研究余滴」4

日本文化学科 松村 良

村上春樹は、近年ノーベル文学賞の候補になるなど、世界的に知られている日本人作家です。彼が1987年に書下ろし長編小説として刊行した『ノルウェイの森』は、現在までの単行本・文庫本の総発行部数が、上・下巻合わせて1000万部を超えるという大ベストセラーになりました。2010年には、トラン・アン・ユン監督、松山ケンイチ・菊地凛子主演で、映画化もされています。

  • 「村上春樹『ノルウェイの森㊤』講談社」
    「村上春樹『ノルウェイの森㊤』
    講談社」

この本が世に出た当時、私は大学院生でしたが、年末の本屋の店頭に、赤い表紙の上巻と緑の表紙の下巻が、うず高く積んであったのを覚えています。まるでクリスマスの飾りか何かのようで、本の帯には「一〇〇パーセントの恋愛小説!!」というキャッチコピーが書かれていました。村上春樹自身が考えたというこのキャッチコピーに惹かれて、この本を手に取った人もいるでしょう。しかし、のちにこの小説が『村上春樹全作品1979~1989』の第6巻に収録された時、その別冊の解説の中で春樹は次のように書いています。

〈帯のコピーに「一〇〇パーセントの恋愛小説」という言葉を入れてもらったのは、こういう小説を出すことに対する言うなれば僕のエクスキューズであった。僕が言いたかったのは簡単に言えば「これはラディカルでもシックでもインテレクチュアルでもポストモダンでも実験小説でもないただの普通のリアリズム小説であります。だからそのつもりで読んでくださいね」ということである。でも本の帯にまさかそんなことは書けないから、一生懸命知恵をしぼって「恋愛小説」という言葉を持ってきたのである。だから『ノルウェイの森』が恋愛小説という観点から評論されることに対しては、自ら招いたことであるとはいえ、僕は正直に言って今でも非常にとまどっている。何故ならこの『ノルウェイの森』は正確な意味では恋愛小説とは言えないからだ。〉(「「自作を語る」100パーセント・リアリズムへの挑戦」より)

このあと春樹は「人がいかにして愛を与え(与えず)、いかにして愛を受ける(受けない)か」を描いた小説は、彼の考える「恋愛小説」ではなく、『ノルウェイの森』もまた「そういう意味あいでの愛の形を越えていない」と述べていますが、ここでは春樹の「恋愛小説」観について考えるよりも、春樹が『ノルウェイの森』を「ただの普通のリアリズム小説」と言っていることに注目しましょう。一般的に「リアリズム」とは「写実主義」、つまり「現実をありのままに描くこと」です。そうだとすると、読者の中には『ノルウェイの森』の語り手の「僕」(ワタナベ・トオル)を村上春樹自身と考え、この小説を「私(わたくし)小説」、つまり作者が現実に体験した出来事をそのまま描いたものだと受け取ってしまう人もいるかもしれません。たとえばこの小説の中で「僕」が住んでいる学生寮は、春樹が学生時代に住んでいた「和敬塾」をモデルにしていると言われています。しかし春樹自身はインタビュー(『ユリイカ』臨時増刊号「総特集・村上春樹の世界」1989年6月)の中で「どうしてみんな僕の小説に出てくる「僕」と、それから現実の僕のことをくっつけて考えるんだろう?」と言っています。つまり春樹の考えている「リアリズム」とは、現実に合わせた時代設定を行い、現実に起こり得ることしか起こらないが、現実そのものの再現ではない、ということになるでしょう。

この小説の時代設定は、1968年から1970年にかけて、「僕」が大学生だった頃の出来事を、37歳になった「僕」が回想するという形になっています。これがもし、村上春樹が自分の大学時代を再現するという「私小説」的なものであったならば、春樹のファンや研究者にとっては必読書になるかもしれませんが、ベストセラーにはならなかったでしょう。『ノルウェイの森』が多くの読者を獲得したのは、1960年代末を舞台にしながらも、そこに描かれる「僕」の考え方や態度、恋愛のかたちといったものが、1980年代末、あるいはそれ以降の読者にとって、魅力的なものとして描かれていたからではないでしょうか。大学生にとって学生運動が切り離せない日常の一部だった時代の中で、それに意図的に背を向け、直子と緑という二人の女性のあいだで揺れ動く「僕」の姿を描くことは、1960年代末の時代に1980年代末の恋愛を組み合わせたかのように見えます。

  • 「村上春樹『ノルウェイの森㊦』講談社」
    「村上春樹『ノルウェイの森㊦』
    講談社」

小説に描かれた世界の時代背景を知ることは、その作品を理解するために必要ですが、小説は「現実そのもの」ではないのです。フィクションと現実の違いを理解するためには、色々な本を読んで、知識を蓄えていくしかありません。

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