【日本文化学科】「研究余滴」

日本文化学科主任 安藤 嘉則

近年、「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもく・しっかいじょうぶつ)」という言葉をしばしば目にします。かつて中曽根首相は国会施政方針演説(1986年の第104国会)でも、仏教思想のひとつとしてこの言葉を紹介しています。

この「山川草木悉皆成仏」という言葉ですが、この出典は不明で梅原猛氏の造語といわれています。元来は「草木国土悉皆成仏(そうもくこくど・しっかいじょうぶつ)」といいましたが、これも謡曲に表れる語で、仏典にはありません。
そもそも草木が成仏するのかという議論は、中国仏教から存在するものの、インド仏教では、草木が成仏するという思想はありません。まして「山川や国土が成仏する」といわれても、理解不能ではないでしょうか。富士山や利根川の成仏は?と問われてみても答えに窮するはずです。

山形大学では、草木塔ネットワークという取り組みがなされています。山形県内には古くから「草木国土悉皆成仏」と刻まれた草木塔が多く存在し、この草木塔ネットワークは自然との共生を謳う山形大学の教育理念と草木塔の精神を結びつけ、多彩な研究活動を展開し、草木塔建立(学内や国内外)も行っています。この草木塔を調べてみますと、山形以外の日本各地に建立されていることがわかります。
ところで草木供養ばかりでありません。日本各地には鯨・鰻・鮪・蚕・鹿・馬のための供養塔が無数建立されています。さらには針供養塔なども各地に建立されており、浅草寺淡島堂前には「魂針供養塔」の碑の前で僧侶による供養が毎年2月28日に行われ、多くの参列者を集めています。千利休が眠る京都の大徳寺では茶筅供養が行われています。こうした鹿や馬、鮪や鯨、あるいは針や茶筅の供養は海外の人には不可解と思う人も多く、知日派の著名な中国人の学者でさえ、これはナンセンスと断じていますが、こうした供養塔には生きとし生けるもの、さらには道具などのモノにさえ命を感じる日本人の感性があるのでしょう。

  • モンゴル僧たちと(右から2人目が筆者)
    モンゴル僧たちと
    (右から2人目が筆者)

日本で最高の観客動員数をあげた「千と千尋の神隠し」では、埋め立てられてさまよえる川の神ハク(コハク川)とゴミにまみれた川の神(腐れ神)が登場し救済されるシーンがあります(二人の神は白龍として描かれています)。この二人の川の神が、本来のあり方を回復していく姿に、私は日本の「山川草木悉皆成仏」の映像化をみるのです。そしてこの映像が現代の日本人に違和感なく受け止められているとするならば、こうした感性は今も日本人に根付いているといえるのではないでしょうか。

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