ヒーロー大仏説

日本文化学科 千葉 公慈

傍らのラジオが、明日の日本列島は雨だと告げている。今年は本当に雨が多い。観光地で土産店を経営している私の知人も大変な苦労をしていると聞く。ただ自然ばかりは逆らっても仕方がないところだが、それにしても何とかならないものだろうか。

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ところで古くは和辻哲郎が指摘するように、日本人は良くも悪くもものごとに受動的で従順な民族といわれる。それはおそらく四季折々の気象の変化とともに、ときに災害とも向き合いながら自然のままに生きてきた“日本人の処世術” なのだろう。ただ、都合の悪い現実に出会っても周囲に同調しながら乗り切ってしまうとき、正直にいって「これでいいのか」と思わず自問自答することもあるが…。

こうした私たちの受け身の性向から見ると、日本人は窮地を救うヒーローをどこかで待っているような気がする。米国頼みの政治の世界よろしく、一連のアニメブームがそれを物語っている。いつでもスーパーヒーローが登場して、トラブルを一気に解決してくれるのだ。ウルトラマン、鉄人28号、ゴジラ、マジンガーZ、ガンダム…。そういえば日本のスーパーヒーローたちは、みんな超大型が多いことに気づかされる。アメリカでいえば、スーパーマンやスパイダーマンは、ほとんど等身大である。なぜ日本ではビックサイズになるのだろうか!?

こんな思いにかられたのも先日、兵庫県は神戸市兵庫区北逆瀬川町にある「兵庫大仏」に参詣する機会に恵まれたからである。「兵庫大仏」は、奈良の大仏、鎌倉の大仏と並んで、「日本三大仏」と昔から伝えられる総丈18メートル、60トンにおよぶ青銅製の毘廬庶那仏(びるしゃなぶつ)である。実は神戸市長田区に、まったく同じ全高18メートルの鉄人28号が堂々とたたずんでいる。神戸は作者、横山光輝のふるさとでもあるのだ。これは筆者の想像に過ぎないが、昭和9年生まれの横山氏は、おそらくは小さい頃にこの「兵庫大仏」を眺め、親しく大仏のもとで幼い日々を過ごされたのだろう。

太平洋戦争も末期の昭和19年5月、兵庫大仏は“出征”と称して武器のために供出されるという憂き目にあう。信仰を寄せる地元の人々は、みな涙に暮れ、大仏を所有する能福寺の当時のご住職は、出征供養の後、布団の中にくるまって涙ながらに解体の音をただただ聞いていたというが、幼い10歳の横山少年にも、きっと寂しくその光景が映ったのではないだろうか…。

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ここで筆者なりの大胆な仮説を立ててみたい。つまりおそらくは戦後のマンガやアニメにビッグサイズ・ヒーローが多い理由は、日本には各所に仏像や大仏があったからではないだろうか。事実、横山光輝はじめ、多くの原作者が幼少の昭和初期といえば、全国的に“大仏建立ブーム”でもあった。人々の祈りとして登場した大仏さまは、私たちに安らぎと癒しを与え、病気平癒や大願成就をかなえてくれる、文字通り当時のスーパーヒーローだったのである。しかも大仏という、とてつもない大きさから、その大きいという存在感だけで、自然と安心感が伝わってくるのは、日本人のみならず、これは人類に共通するといっていいだろう。東南アジアやシルクロードの史跡にはその大仏が数多く点在するのは、その証左である。とりわけ私たちの日本では、ときにビルの合間に、ときに路地のその奥に、民衆の生活のまっただ中に大仏は鎮座しているのだ。信じようと信じまいとに限らず、いつの間にか私たちは、大仏によって「いつでもここに私はいるぞ!安心せい!!」と無意識に意識させられているのだと思う。そんな古くからの我らのヒーローが、現代の巨大ロボットアニメに姿を変えたとしても、それは不自然なことではないのだ。ひょっとしたら、ゆるキャラや人型ロボットが人気を集めるのも、仏教が仏像というキャラクターを祀ってきた歴史的土壌の上に成り立っているからではないだろうか。

そういえば漫画「鉄人28号」にも、人工知能ロボットが大仏となって動き出す場面があった。戦争と平和、人間の罪と罰をテーマにしたこの作品には、実に深い大仏との縁を感じざるを得ない。今にして思えば、悟りの智慧を本質とする大仏と、AIを本質とする近代ロボットは、どこか目指す理想が重なるものだと横山氏は言いたかったのかも知れない。そんな気持ちにさせる「兵庫大仏」の参拝であった。

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