石榴(ざくろ)のお話—仲秋の風景雑感—

石榴赤し ふるさとびとの 心はも    高浜虚子

  • 赤く色づきはじめたザクロ(本学図書館裏にて撮影)
    赤く色づきはじめたザクロ(本学図書館裏にて撮影)

いつのまにか残暑も過ぎ去り、お彼岸を迎える頃になると、ようやく石榴(ざくろ)の実も赤く色づきはじめる。俳句では秋の季語にもなっているこの石榴の実は、その紅色から、どことなく人恋しい気分にもさせる。そのためであろうか、石榴といえば、我が子を思う母の物語「鬼子母神」伝説がよく知られている。

その昔、お釈迦さまがこの世におられた頃、ハーリーティーという一人の母がいた。何と五百人にもおよぶ我が子を養っていたが、生来凶暴な性格をしていた彼女は、他人の子を見つけては次々に食べてしまうという、実に恐ろしい所業を繰りかえしていたという。
そんな噂を耳にしたお釈迦さまは、ある日、ハーリーティーの子どものうち、もっとも可愛がっていた末子の一人をこっそりと隠してしまった。悲しみのあまり、気も狂わんばかりになげきながら、必死に我が子を探しまわる彼女であったが、お釈迦さまの神通力によってどうしても見つけることができなかった。
こうしてハーリーティーは、救いを求めてついにお釈迦さまのもとを訪れた。そこでお釈迦さまは、「自分には五百人もいる子どもの、たった一人がいなくなっただけで、こんなにもなげき悲しんでいるではないか!ひとり子を食われて失った母親の心がどれほどのものか、よくわかるはずだ」と厳しくさとしたのであった…。

『法華経』陀羅尼品(だらにほん)より

こうして彼女は過去を深く懺悔し、子どもを守る誓いを立てて仏教に帰依するところとなった。このハーリーティーという母こそ、後世に「鬼子母神(きしもじん)」として祀られる子育ての神である。この鬼子母神像は、子どもとともに右手には石榴の実を持っているものが多い。人肉の味がするという迷信は、ここから来るものだが、正しくは「吉祥果(きっしょうか)」といって子宝に恵まれる縁起物の果実だからである。つまり、ひとつの実から多くの種が採れるため、子孫繁栄をあらわすのである。その意味でヒョウタン信仰と同じ原理といえる。

ところで石榴は、別の意味でも仏教にとっては大切な果実である。古くからインドでは、石榴の汁は「漿水(しょうすい)」といって修行僧の薬として珍重されていた。「しょうすい」とは、いわばジュースのことであるが、バナナ、マンゴウ、ブドウ、レンコンなどとともに重要な「八漿水」に数えられている。ジュースといっても、今のように決して味わうためのものではなく、衰弱した体を養生するために飲用したのである。実際に石榴のジュースは女性ホルモンに富んで栄養価も高く、人体から寄生虫を駆除する薬にも使われた記録がある。また華麗な花の姿は、ギャザーを寄せたようで、その昔は尼僧たちの内衣(下着)のファッションにも採り入れられたというユニークなエピソードも残っており、石榴は文化史研究の対象として非常に興味深い植物なのである。

(千葉 公慈)

なるほど!?日本文化 :新着投稿