涅槃図に描かれる母への思い

2月15日はブッダの入滅された日を記念する「涅槃会(ねはんえ)」が行われます。日本では古来、この日にまつられる「涅槃図(ねはんず)」から多くの教えを学んできました。実はこの「涅槃図」、インドから中国、そして多くのアジア諸国を経由して伝えられた図柄には、さまざまな違いが見られますが、ここから仏教という文化の思想的な特徴をうかがい知ることができるのです。

まず仏教において「両親」ということを表現する場合、「母と父」といって母の方を先に挙げる形が定型となっています。特にインドでは、家父長制を重んじるために「父」の名をもって両親を表現するのが慣例であったことを考えると、仏教では意図的に母を重視する文化であることは注目に値します。

  • 涅槃図(宝林寺所蔵)
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たとえば日本仏教の思想に大きな影響を与えた『正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)』は、人間として大切にすべき感謝の心を「四恩(しおん)」として説いていますが、それは第一に母への恩を挙げ、二に父、三にブッダ、四に教師と続きます。国王(社会的リーダー)への恩が除外されている点も面白いですね。

  • マーヤー夫人
    マーヤー夫人

さて日本の「涅槃図」を見ますと、必ずその右上にはブッダの母、マーヤー夫人の姿が描かれています(右円)。ブッダを出産されたとき、産褥熱のために亡くなられたと伝えられるあのマーヤー夫人が、ブッダの臨終に際して迎えに来ておられるのです。この母の姿は、インドや東南アジアの古いレリーフにはほとんど描かれていません。しかし我が子を産むために命をかけた母の存在は、きっとブッダの心には生涯にわたって深く刻まれていたはずです。だからこそ日本では、涅槃会といえばマーヤー夫人の姿が欠かせないと考えたのでしょう。

  • 投薬の風呂敷
    投薬の風呂敷

ちなみにマーヤー夫人は病のブッダのために風呂敷で包んだ薬を投げ入れていますが、残念ながらそれは枕元の沙羅樹にひっかかって届くことはありませんでした(左円)。この故事が「投薬」という日本語の起源となっています。

思えば道元禅師も瑩山禅師も母への思いが出家の動機といわれます。同様にキリスト教においてもマリア信仰は欠かせない祈りのひとつです。宗教や文化が異なっても、母への感謝は人類に通底する心情なのでしょう。そういえば数年前、新幹線で偶然同席した松本零士さんは、かの名作『銀河鉄道999』のメーテルは仏教のマイトリー、つまり優しい母のイメージを描いたものだと私に語ってくれたことを思い出します…。

(千葉 公慈)

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