日本史演習から得た私の宝物

私は3年から4年にかけて、日本史演習(皆川ゼミ)を履修しました。演習での学びを通して、原史料に触れることの楽しさや、学びの視野を広げることの大切さを知りました。

  • 伊勢御師がお土産で配った「伊勢暦」
    伊勢御師がお土産で配った「伊勢暦」
  • 安政4年『伊勢参宮道中記』(表紙と伊勢の記録)
    安政4年『伊勢参宮道中記』(表紙と伊勢の記録)

特に印象に残っているのは、江戸時代の伊勢神宮への参詣記録である『伊勢参宮道中記』です。この史料は、下野国都賀郡久我村(現在の栃木県鹿沼市下久我)の住人、篠原理右衛門清澄が、安政4年(1857)正月より、西国の伊勢神宮、高野山、金比羅山などを参詣した旅の記録です。主人公の篠原は、50歳での旅立ちでした。

この史料を読み始めた当初、くずし字で書かれた長文の史料でもあり、正しく読解できるのだろうかと、不安な気持ちでいっぱいでした。しかし、読み進めていくと、舗装もされていない長い道のりを歩いた旅人の体力、旅の途中で立ち寄った名所・旧跡・宿場の名物を知ることができ親しみが湧くと同時に、当時の人々にとってお伊勢参りがとても大切な文化であることが分かりました。個人的には、史料の中に登場する各地の名物が楽しみでした。中には、今でも食べることができる名物もあり、いつかそれらを味わってみたいです。

つぎに印象に残っているのは、同じ演習を履修していた友人による伊達政宗の人物像に着目した研究です。私は伊達政宗について、戦乱の世に生きた大変厳しい武将とのイメージをもっていました。しかし、友人が発表を重ねるごとに伊達政宗のイメージが大きく変わっていったのです。伊達政宗は、大変な筆まめな性格で、折りに触れて家族や家臣に自ら筆をとり手紙を書いたり、また仙台に城下町を作る際、家臣や工事に関わった人々にまで、ねぎらいの言葉をかけるなど、本当に気配りのできる、暖かい心を持った人物であることを知りました。もともと伊達政宗の生きていた戦国時代を調べることは私にとって苦手な時代でしたが、好きな時代の一つへと変わっていきました。

この二つの出来事を通じて、物事に対して自分の考えや思いを持ち続ける大切さだけではなく、一つの側面ではなく様々な角度から見ること、他者の意見を取り入れることの大切さを改めて痛感しました。日本史演習の学びを通して得たことは、私の一生の宝物です。4月からは社会人として、日本文化学科での学びや経験を活かしてがんばりたいと思っています。

日本文化学科4年 加藤 詩織

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