「ニオイ」のコミュニケーション

昨年末12月のネットニュースに、「沖縄戦の壕のにおい再現 体験者:汗や血、忘れられぬ」と題する記事がありました。沖縄県南風原(はえばる)町の丘陵にあった病院の壕を管理する同町立南風原文化センターが「戦争の悲惨さを、より確かに伝えたい」との想いからだといいます。これまでは、語り、文字、写真・映画フィルム、現存する当時の物、パノラマなどの再現展示などの方法がとられてきましたが、今回の展示の特色は強烈な「臭さ」を再現する、とのことです。

<戦争とは>を伝えるコミュニケーションツールとして臭覚を利用する試みなのです。言語的には、快い、気持ちの良い感覚を「匂い」と、クサイ、生理的に不快な感覚を慣習的に「臭い」などと表記していますが、展示は後者のニオイ=臭いのコミュニケーションということになります。おそらく壕の中に漂う湿気、カビ臭さ、熱気に汗、血、腐敗、汚物あるいは死臭などの強烈なニオイ=臭いでしょう。さすがに展示室をこの臭いで満たすことは難しいと思います。ガラスなどの容器に入ったニオイを嗅ぐことは可能でしょう。

文化人類学という学問領域で教育研究を行っている身としては、これまで異なる地域の様々なニオイ(「匂い」「臭い」)に出会ってきましたが、このニオイを学生諸姉に伝えることが非常に難しいのです。砂漠や熱帯の森など風土と結びつくニオイ、食の場面で出会う香り、人びとの体臭、居住地域の生活臭、災害現場のニオイ、動物や人間の病死に係るニオイなど、私自身の記憶に残るニオイを教室では披露できません。言語表現にゆだねなければなりません。ニオイのコミュニケーションは、(分節化された)言語の表現力を借りてなされることが多いのです。しかし、どんなに詳しく説明したところで、同じニオイの感覚はその場にいた者しか共有できません。

日本の香道では、酸(すっぱい)・苦(にがい)・甘(あまい)・辛(からい)・鹹(塩辛い)の5つの味に係る言語表現や源氏名などの言語に置きかえてニオイを表現するといいます。また香道では「ニオイ」を嗅ぐことを「聞く」といいますが、ニオイを音声にとめる作業を介してお互いのコミュニケーションを深めている、ということです。

帰り道、梅の花が咲きほこる川辺の道で、そのほのかな香りに出会いましたが、4年前から、この時期には「3・11の現場のニオイ」とはどのような「ニオイ」であったのか、が心に重くのしかかってきます。連日、東日本大震災の惨状を忘れることのないように、あの日の映像がテレビで繰り返し流されています。しかしテレビに代表される映像フィルムからは「ニオイ」が伝わってきません。その瞬間や一夜明けた街、時間の経過とともに変わりゆく「ニオイ」を体験した人びとの心情を映像からは推し量ることはできません。察するに被害を受けた人びとにとって消すことのできない「ニオイ」の記憶として残っていることでしょう。「ニオイ」を語り継ぐ難しさ、「ニオイ」をめぐるコミュニケーションの難しさを改めて感じています。このことは原発事故で感じることのできない「ニオイ」、無色無臭の放射能の「ニオイ」をどのように語り継ぐか、という心のコミュニケーションのあり方を私たちに突きつけているのではないでしょうか。

亘 純吉(文化人類学ゼミ)

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