着物の方が体にやさしい?/石田 かおり(哲学的化粧論)

駒沢女子大学では卒業式が3月25日、入学式が4月2日と決まっている。その間はちょうど1週間。私は例年、卒業式は着物、入学式は洋服で出席している。今年も卒業式と入学式が終わったところだが、卒業式にはなかった痛みが入学式では生じた。その痛みは、講堂で長時間同じ姿勢で座っていたことによる肩と首の凝りと、ふだん履き慣れないハイヒールで長時間立っていたことによる足の痛みである。思い出せば、入学式のこの痛みは今年ばかりでなく、例年のような気がする。

講堂での式典の間、学科主任である私は学科教員の代表として舞台の上にいる。姿勢正しくじっと座っているのが役目だ。式典は卒業式が約1時間半、入学式が約1時間。式典の後は学科別の集会があり、その間ほぼ立ち通しだ。卒業式の方が講堂の舞台で座っている時間も学科別の集会で立っている時間も長いのに、痛みを覚えるのは入学式の方だ。どうしてだろう。

  • 講堂での筆者(左陣後列右から2人目のピンクの着物)
    講堂での筆者(左陣後列右から2人目のピンクの着物)

それは、衣服が人体に要求する身体技法の違いから来るのではないか。

着物は腰紐1本で留める衣服である。腰紐は重心の最適な落とし処を着る人に自然と意識させるため、結果重心がそこに落ちる。「着るだけで人体にとってもっとも負担が少なく安定する場所に重心を落とすことが自然にできる衣服」と言える。その重心の落とし処とは、よく「丹田」や「臍下丹田」と言われる場所だ。

腰紐は本来骨盤の上に締める。それゆえしっかり締めることができる。ウェストにきつく紐を締めると胃が圧迫されるが、骨盤の上ならしっかり締めても内臓を圧迫することがないから、呼吸もお腹いっぱいの食事も妨げられない。体の動きに応じてよく伸び縮みする腹部に締めた紐はずれやすいが、骨の上に締めた紐はどんなに体を動かしてもビクともしないから着崩れない。「本来」と書いたのは、女性の場合いまこうした着方が少数派になっているからだ。着物を日常着としていた時代や、着物を着慣れた人が自分で着る場合は「本来」の腰紐の締め方をする。しかし、成人式や大学の卒業式の折に、自らも儀式以外に着物を着つけられた経験がない人に着つけてもらう場合は、腰紐を「本来」の位置に締めることは滅多にないからだ。

話題を元に戻そう。着物は体にもっとも負担がなく安定した場所に重心を落とすことを容易にする装置だと書いた。これに対して洋服で重心を落とそうとすると、どこに落とせばよいか定めるのが難しく、落とすこと自体もまた難しいと感じている。それに加えて、着物の礼装は二重太鼓に締めた帯が上半身の姿勢を無理なく支えてくれるため、楽にしていても姿勢正しくいられる。よい姿勢で椅子に腰掛け続けるには、上半身の場合、脊柱起立筋や広背筋などいくつかの筋肉の力が必要だが、帯の支えが筋力を補ってくれるため、筋肉の緊張はあまり要らず、凝りにくい。洋服では足も揃え続ける必要があるので、内転筋などの脚の筋肉も緊張し続けることになるが、着物は足首丈のため努力しなくても膝が揃えられる。座った姿勢での肩と首の凝りの有無は、こうした着物と洋服の違いが大きな要因ではないか。さらに、ハイヒールで姿勢よく立ち続けるには、洋服で姿勢よく座り続けるよりさらに多くの筋肉を緊張させなければならないだろう。

  • 洋服と着物の身体技法を比較する授業
    洋服と着物の身体技法を比較する授業

3歳から着物を着て歌舞伎舞踊を始めた私は、気付いたら、洋服の身体技法と着物の身体技法を衣服に応じて無意識のうちに切り替えるようになっていた。長年この身体技法の違いは意識にも上らず、ましてや研究対象にしようなど考えたこともなかったが、大学で非常勤講師を始めた頃、ファッションセンスとメークテクニックが自分の学生時代と比較して格段に向上した女子大生がなぜか美しく見えない違和感の原因を探り始めたとき、身体技法が印象に寄与する大きさに気づき、美人研究の一環として身体技法の勉強を始めるようになった。やがて駒沢女子大学の専任教員になり、現在「和装文化論」という科目名で実施している授業に、和装の基礎知識に加えて、和装と洋装の身体技法の比較も取り入れて、衣服と身体技法の組み合わせが印象をどう左右するかが自らの研究テーマの1つになった。

研究には意識化と言語化は不可欠だが、体の動かし方を意識化し、言語化するのはただでさえ難しい。その上私の専門の西洋哲学は、学問の性質上身体の問題を扱うのがもっとも苦手で、研究はまるで悪あがきのように困難をきわめる。その反動か、論理パズルを解いたり、論理パラドックスの解法を考えたり、数学や物理学の本を読むことは、哲学本来の手法がいきいきといかせて、楽しい息抜きになっている。

さて、来年は入学式も着物にしようか、今から考えている。

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