成長を見届ける/榎本 環(社会学)

夏の終わりから秋の始まりにかけて、学生たちとのあいだで心動かされることが3つあった。
9月、恒例のゼミ合宿に出かけ、軽井沢で濃密な1泊2日を過ごした。ゼミ合宿は、いつもの教室とは異なる新鮮な環境で、時間を気にせず、とことん議論を尽くせる貴重な機会である。また、ふだんはなかなかじっくり話すことのできないお互いの思いや人となり、学生生活のこと、個人研究の進め方、就職活動のことなどについて学年を超えて教え語り合い、絆を深め合うことのできる好機でもある。だから、せめてこの夏合宿だけでもと思い、3年生と4年生の合同で出かけることにしている。学期中はそれぞれ別の時限でゼミを実施しているので、この夏合宿が、両学年が顔を合わせる初めての機会となる。
昨年の3年生は、「旅行に出かける予定がある」「合宿免許を取りに行く」「家族旅行の日程と重なっている」などの理由で、結局、誰も参加せず、4年生だけで出かけるという前代未聞の事態となった。学生たちの言い分を信じるほかないが、面識のない先輩たちと行動を共にすることに気後れを感じている気配はありありだった。「いつメン」(いつものメンバー)以外の初対面の相手との接触を避け、社交的な関係を構築できない…、ましてや相手が年上の先輩となると逃げ回る…。近年、学生たちのあいだでその傾向はますます強まり、その後の就職活動や卒業後の社会生活のことなどを考えると心配でならない。サークル活動をやっていない学生など、このゼミ合宿に参加しなければ、「大学の先輩」「ゼミの後輩」などの人間的つながりとは一生無縁のうちに終わることになる。
しかし、今年の彼女たちは、「先輩」となった気安さもあろうが、大半のメンバーが合宿に参加した。日中の就職活動を終えて最終の新幹線で駆けつけるゼミ生もいた。現3年生もほぼ全員が参加した。蓋を開けてみると拍子抜けするほどに、学年間で談笑の輪が広がった。「先輩たちの卒論構想発表に聞き入ってしまった」「4年生とこんなに盛り上がれるとは思ってもみなかった」などの感想も3年生から寄せられた。ゼミ活動を終えた後の飲み会では抱腹絶倒が夜更けまで続いた。「今度、3~4年合同のゼミ飲み会をやりましょう」という話もまとまっていた。

顧問を引き受けているチアリーディング部で合宿の引率に出かけた。しばらく休部状態にあった活動を現4年生たちが入学時に復活させたのは快挙であったが、これまで運営の不慣れや部員間での行き違いが絶えず、離れていくメンバーも続出し、つねに綱渡りの活動であった。幸い、多くの新入部員が集まった今年、初めて学年間の人数バランスが取れた構成となり、本格的なサークルらしい合宿を迎えた。沈滞ムードのなかで険悪な時期もあった上級生たちが、いつの間にか「先輩」の顔立ちになり、下級生を上手にリードしていた。その姿は、まぶしかった。個性の強烈なそれぞれが、各自の立ち位置・役回りを自然に見出し、チームの運営を支えあう姿があった。1~2年生たちも裏表なくフランクに先輩たちと言葉を交わしていた。まさに「ピア・サポート」の理想的な姿を垣間見る思いであった。夜の懇親タイムにも全員が参加し、時間が過ぎるのを忘れて大いに笑いころげた。ここに至るまで、上級生たち、とりわけ4年生たちにとっては、ときに激しく揺さぶられ、大小さまざまな挫折を経験し、文字どおりの試行錯誤を経てつかんだ成長であった。

後期が始まる頃、今夏の「学外実習」(インターンシップ正課科目)に参加した学生たちから実習レポートの提出を受けた。同実習は、受入れ先のご協力のもとに実施する本格的なインターンシップである。5回の事前学習を経て、2週間にわたり、現場の社員・職員の方々と机を並べさせて頂き就業体験に挑む。営業同行や会議出席、企画書作成などの経験を提供してくださる実習先もある。それほどに貴重な体験機会でありながら、例年の実習レポートに記される“学びの足跡”にはいささか物足りなさを感じることが少なくない。しかし、今年の実習生たちは違っていた。

などの感想が挙げられていた。授業担当者として冥利に尽きる思いであった

人に何かを教えるとは、じつに奥の深い仕事であると実感する。こちらの思いが空回りして、いくら手を尽くしても学生の反応が返ってこず、無力を感じることもままある。かと思えば、ほとんど忘れた頃に「あの一言で」などと感謝を告げられることもある。ふとした何気ない瞬間に、驚くまでに成長した姿を垣間見せる学生も少なくない。その多くは、決して教える側の成果などではなく、学生たち自身の力による成長である。教員ができることは微々たるもので、たとえ学生たち自身には「まだ見えぬ」ことであっても、土を耕すように彼女たちがいつか成長していくための舞台を整えていくこと、なかなか芽が出てこなくても諦めずに水をやり続け追肥を絶やさぬこと、それぐらいのことしかできない。
学生たち一人ひとりがやがてどんな花を咲かせるのか、楽しみにしていたい。綺麗な、完璧な花でなくてもいい。それぞれに“味”があれば、それでいい。たとえ、なかなか開花が訪れなくとも、自分がその開花を見届けることが叶わなくとも、いつか花開かせるときがくる…、そう信じてやりたい。

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