選択と偶然の奇妙な関係

歴史の偶然というのは、後から振り返ってみると非常に興味深いものである。

1万年前にヨーロッパやアジア大陸だけに生息していた馬は、人間が飼いならすことができ、人間のチカラを何倍にも拡大できる生き物である。アフリカからこの地域にやってきた人類は、馬を使って農耕や荷物の運搬をした。また馬は移動の手段としても有効で、戦争には不可欠の武器となった。しかしアフリカやアメリカに馬はいなかった。インカやアステカの先住民は、馬にまたがったスペイン人を見てさぞかし驚いただろう。北米にも馬はなく、先住民はたちまち追い立てられてしまう。ある民族には馬がいて、ある民族には馬がなかった。この偶然が現在にまで至る民族格差の一因になったのは間違いない。

1912年4月10日夜、タイタニック号が北大西洋航路を走っていたとき、火花式無線通信機は昼間の故障から回復した直後で、通信士は船客から陸上の家族や友人に送る大量の通信と格闘中であった。そのため15kmの距離にいたカリフォルニアン号からの流氷警告をほとんど無視することになってしまう。当時まだ無線通信は運用ルールが明確に決まっていなかったのだ。そしてタイタニックが氷山に衝突して沈没の危機が迫った時、カリフォルニアン号の通信士は無線機を切って寝てしまっており、SOSを受信することはなかった。乗組員はタイタニックから打ち上げられた信号灯を花火だと思って見物していたのである。

1937年5月6日、アメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハースト海軍飛行場に到着しようとしたドイツの硬式飛行船LZ129ヒンデンブルク号は、地上の人々の目の前で突然火災を起こして爆発炎上し、乗客・乗員35人が死亡した。途中通過した雷雲のせいで帯電した電気が可燃性の塗料に火を着けその後内部の水素が引火したと言われている。空を飛ぶ飛行船になぜ燃えやすい塗料が使われていたかは不明だが、当時はドイツに対する米国の輸出規制により爆発の危険性がないヘリウムは使うことができなかったのだ。この事故がなければ船より快適な飛行船時代はもう少し続いたかもしれない。

1955年3月2日にアラバマ州で、一人の黒人女性がバスの座席を白人に譲らず逮捕された。人種差別撤廃運動を展開しようとしていたACLU(アメリカ自由人権協会)は、この女性クローデット・コルビンが15歳でしかも妊娠していることを知り、運動のシンボルとして相応しくないと考えた。9ヶ月後に42歳の黒人女性ローザ・パークスが同じ目にあったとき、この間に急速に注目されるようになったモンゴメリーの若き牧師が抗議の声をあげバス・ボイコット運動のリーダーとなった。もしACLUがクローデットを担いでいたら、マーティン・ ルーサー・キング牧師は無名のままだったかもしれない。

1960年9月26日、米国のジョン・F.ケネディ民主党大統領候補とリチャード・ニクソン共和党大統領候補とのテレビ討論会が行われた。ニクソンはテレビ放送向けのメイクを拒否した。放送は夜であったためニクソンの顔にはヒゲがうっすらと生えて悪人面に見えた。一方ケネディはメイクによって実際より若く日焼けして見えた。ラジオを聴いていた人はニクソンの勝ちだと思ったそうであるが、テレビを見ていた人はケネディに好感を持った。テレビ時代でなかったら、ケネディが0.1%の僅差で大統領になることはなかっただろう。そしてその後米国は、明らかにケネディ時代ともいえる新しい時代を迎えたのである。

今年2014年は、1914年夏に第一次世界大戦が勃発してからちょうど100年であり、記念の特集もテレビや雑誌で多数組まれている。あのとき、それまで45年間大きな戦争を経験しなかった人々は「戦争」をあまりにも軽く考えていた。戦争準備は選択の結果であるが、戦争勃発は偶然の要素が大きい。2000万人近い戦死者を出した最初の世界大戦は、人々が近代戦争の悲惨さを想像できなかったから起きたとも言える。そして現在の日本も70年近く戦争を経験しない世代が、好戦議論に簡単に巻き込まれつつある。

偶然は常に周囲に存在している。一方で私たちはあらゆることに選択を強いられている。偶然は選択の結果である以上、選択によって偶然を味方に付けることもできるはずである。自分の選択が正しい結果であるように、私たちは歴史からしっかりと学ばなくてはならないだろう。

(小林 憲夫)

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