テクノロジーと想像力――国立科学博物館 特別展「医は仁術」を見て

先日、上野の国立科学博物館で特別展「医は仁術」を見た。公式サイトなどで事前に情報を仕入れることなく、ほとんど偶然に近いかたちでその場を訪れたのだが、なかなか興味深かったので、その話を書こうと思う。

想像どおり、テレビドラマ『JIN-仁-』(TBS,2009/2011)とのつながりを全面に押し出した企画に、初めは少しがっかりする。大人気ドラマであったことは知っているが、私はそれを見ていないし、「『仁』とは“他を想う心”である。」というキャッチフレーズもなんだかありきたりで面白くないような気がしたのだ。しかし、この最初の感覚は展示を見ていくにつれて、裏切られていくことになった。

展示は「序章」から「終章」までの章仕立てで、大きく7つの部分に分かれており、日本の医学の歴史を時代順に見せるものだ(江戸時代の資料が大半を占める)。まずは「医学」と呼べるようなものはなく、人びとが、病に対して、神や自然に祈ったり、人間の身体の未知の部分を妖怪になぞらえたりしていた時代から始まる。そこに西洋や東洋から伝えられた知識と技術が融合していく江戸中期以降、近代医学が確立されていく明治期以降の医をめぐる種々の資料が加えられ、最終章では現代の医学テクノロジーの成果が紹介される。

  • 国立科学博物館 特別展「医は仁術」パンフレット
    国立科学博物館 特別展「医は仁術」パンフレット

随所で「仁」というキーワードが強調され、日本には古来、「他を想う心」としての「仁」が脈々と受け継がれてきたと繰り返されるのだが、面白いのは、実際に展示されている資料が、その売り文句と見事なまでのズレを見せることだ。たとえば、「刑死者解体図」では、首を切り落とされた受刑者の身体が、手、足、胴体、さらには個々の臓器にまで切り刻まれていく様子が生々しく描かれている。そこに読み取れるのは、他者を想う心などではなく、バラバラにされた身体の各部位への剥き出しの好奇心だ。胸部がパカッとあいて臓器が見えるようになっている「生き人形」や、妊婦の腹部をあけると子宮と胎児が取り出せるようになっている「産科人形」などを見ても、当時の人びとが人間の身体に注いでいた好奇な視線を連想せずにはいられない。

  • 産科人形
    産科人形

さらに、それらの資料のほとんどは、現代の私たちが考える「医学資料」としては、少々過剰で「余計な部分」を持ち合わせている。「刑死者解体図」は色彩豊かな日本画の絵巻ものだし(そこには解剖〔腑分け〕を覗き見している町の人らしきものまで描かれている)、他の解剖図もきれいな掛け軸に仕立て上げられている。妊娠の段階を示した「体内十月絵巻」は、楽しげに語らう婦人たちの絵なのだが、彼女たちの下腹部がすけてそこから胎児が見えている。産科の技術を示した「産科探頷図訣図式」は、妊婦よりもその体内に手を入れる医者の方がクローズアップされた構図で、そこにも奇妙さを覚える。これらは、無味乾燥で中立的な「知識」や「技術」の資料ではない。そこにあるのは知識や技術を媒介にして、人間の身体へと近づこうと当時の人びとが駆使した豊かな「想像力」だ。それは病に魔物を見ていた時代の人びとの想像力と何ら変わることはない。技術は想像力と対立するものではなく、それを掻き立てるものなのだ。

  • 産科探頷図訣図式
    産科探頷図訣図式

展示の終盤では、最新の医学テクノロジーが示される。3Dプリンターで作成された成人男性の臓器モデルを実際に手に持って重さを感じたり、内視鏡下手術の装置を見たり、ヒトiPS細胞の標本を電子顕微鏡から覗いたりすることができる。臓器のモデルとされるものを持ちながら、iPS細胞とされるものを覗きながら、私は何をしているのだろうという疑問が頭をかすめる。そうしてみても、私は何も理解してはいないのだから、自分のしていることが少し滑稽にも思えた。それでも、どうしても臓器モデルを手に持ってみたかったし、顕微鏡でiPS細胞を見てみたかった。テクノロジーは私たちの好奇心を触発する。そしてそこには、私たちの時代の、身体への想像力が確かにある。

【参考】
「特別展 医は仁術」公式ウェブサイト >>
(※開催は2014年6月15日まで)

(大貫 恵佳)

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