「雨に唄えば」

2014年2月15日、関東地方は未曾有の積雪。我が家のガレージの屋根も重みに耐えきれず、潰れてしまった。

  • 「雨に唄えば」

痛い腰をなだめすかしながらの雪かき。そこで、頭の中に流れていた音楽は、“Singing in the Rain”、「雨に唄えば」。これは雪かきしながら唄う曲じゃない。むしろ、「ボルガの舟唄」や「囚人の歌」(「レ・ミゼラブル」)あたりがぴったりだ。

しかも、頭の中に浮かんでくる映像は、あのミュージカル映画で、ジーン・ケリーが土砂降りの雨の中、水しぶきをあげて踊りまくる、躁病的な有名シーンではない。「時計仕掛けのオレンジ」で、主人公アレックス(マルコム・マクダウェル)が、押し入った邸宅で、床に転がされた被害者をリズムに合わせて蹴っ飛ばしながら踊り歌う、悪夢のようなシーンだ。

学校で習う「歴史」は戦争に災害、疫病に圧政と、まさに悲劇の展覧会だ。「あんな時代に生まれなくて良かった」と、現代に生まれた幸せを、子供ながらに感謝したものだ。存在の被拘束性などという言葉は知らなくとも、心理学を学べば、人間が「環境の産物」だということを、嫌というほど思い知らされる。地獄のアウシュヴィッツ収容所から生還したフランクルが「夜と霧」の中で、異常な環境のもとでは人間の精神もまた異常になることを明らかにしたのはその一例だ。

  • 「雨に唄えば」

しかし一方で、いかなる過酷な時代においても、人々は何とか生き抜く努力を怠らず、また、無明の砂漠に一輪の花を見出しては我が身の「幸せ」を歌ってきたのではなかったか。人間の幸せが環境のみによっては決まらないということもまた、確かに真実なのだ。

「時計仕掛けのオレンジ」が描く近未来社会は、テクノクラートが人間の精神をも操作する管理社会だ。そんな、土砂降り状態の雨の中でも、私たちは歌うことができる。まあ、アレックスは悪い奴で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということで救われたのかも・・・。と、能天気な想像をしながら、温かい湯船につかり、筋肉痛を和らげている自分もまた、つくづく幸せ者なのかもしれない。ただし、映画好きの僕は、決して風呂場では “Singing in the Rain”を歌わない。

(富田 隆)

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