私と合気道/小林 憲夫(メディア学)
2016/06/28
私が合気道に出会ったのは四年前の秋です。学内の先生に頼まれ映像資料を整理しているとき、その内容が「最強の武道とは?」というテーマで、格闘技のプロフェッショナルが他流試合を次々と行った結果、合気道が一番強かったというものでした。私はそれまで、武道と言えば剣道か空手だと考えていたので、その聞きなれない名称に驚くとともに、その「戦い方」に非常に興味を持ちました。正面からぶつかるのではなく、相手の虚をつくように身をかわし背後に回るという、「奇抜な」スタイルがいかにも合理的に思えたからです。
私は武道に対して以前から関心を持っていました。かつて小学生だった息子に空手を習うよう勧めたのも私です。大人しく人見知りだった息子がみるみる明るく積極的になっていったのには驚きました。黒帯を取って満足したのか現在は習っていませんが、大切な時の人間形成に大きく役立ったようです。武道にはそんな力があります。しかし私自身が武道を学ぶことはしてきませんでした。もちろん習おうと思って剣道場や空手道場を訪ねたことはあります。しかし結局入門しませんでした。
その理由は、道場につきものの「神棚」や「国旗」の存在です。私はクリスチャンであるという理由だけではなく、昔から日の丸、君が代という天皇制に関連したシンボルに民族主義的な側面を感じて苦手意識があります。見学に行った道場で、日の丸に礼をしたり神棚を拝んだりする姿を見たとたん「これはダメだ」と感じてしまいます。息子が通う空手道場はそうした習慣がなく単に「礼」をするだけだったので気に入っていましたが、残念ながら大人は教えていなかったので習うことはできませんでした。
合気道は武道ですが、それほど古いものではありません。1883年に和歌山県田辺市に生まれた植芝盛平が、柔術や剣術など様々な武術を学びそこから独自の新しい『合気道』を生み出し普及に努めたのは戦後のことです。開祖の植芝盛平は武術に秀でていたばかりでなく、南方熊楠の神社合祀策反対運動に共鳴するという知的な側面を持ち、大本教や神道などの研究をもとに『和合』『万有愛護』などを理念とする独自の精神哲学を編み出します。武道としては新しいだけに、言わばそれまでの武術の要素を全て含んだ「最後の武道」でしょう。
合気道に興味を持った私がネットで探したら、意外なことに歩いてすぐの距離に道場がありました。さっそく見学に行くと、神棚も日の丸もなく稽古初めに全員で二礼二拍手一礼をするだけです。クリスチャンであっても儀礼は必要ですから拍手することに抵抗はありません(神社の参拝と同じ)。穏やかな表情の師範が、その静謐さと裏腹に数ミリもたがわぬ精密で剛健な動作で技を決める姿に、素人ながら「この人になら教われる」と肌で感じることができたのも入門のきっかけでした。
三浦市三崎にある道場の澤隆治師範が、わざわざ世田谷まで教えに来てくださるこの道場に正式に入門したのは2012年12月。三年後に初段となって現在も稽古に励んでいます。澤師範は、開祖が道場を開いた場所にちなんだ『岩間流』と呼ばれる流派で、木刀や杖も教える本来の合気道を伝えています。まさに開祖が編み出した、柔術だけでなく剣術からも学んだ無敵と言われる奥義を継いでいるのです。それもそのはず、澤師範は開祖に直接教わった弟子のひとりで、理屈から言えば私は、開祖から数えて三代目ということになります。
合気道は、空気投げと言われるように気合だけで投げ飛ばしたり、力を全く使わず相手を制したりできる魔法の技のように考えられていますが、現実はそうではありません。力の方向と強さをピンポイントでコントロールして、相手の力を利用したり削いだりする極めて精緻な武術です。足さばき・体さばきや呼吸法を含むトータルな訓練により、天と地、吸気と排気、押す・引くなどの対立する要素の調和を見出し、『天の浮橋』という一種の精神的境地にまで到達できるとされています。70歳代が最も強い時期と言われる合気道ですので、63歳の私はまだまだ続けられそうです。