国際文化学科教員による授業紹介リレー No. 2 「異文化理解」Part 2

観光文化コース 羽鳥 修

「異文化理解」の授業内容を前回に引き続き紹介します。内容が少し難しくなりますが、大学での学びがどのようなものか知って頂きたいと思います。

黒人らによる差別撤廃の動向を手短に振り返ってみましょう。1865年に憲法修正第13条によって奴隷制度が廃止されましたが、解放された黒人が次に直面した大きな壁は、19世紀末から20世紀初頭にかけて成立した「ジム・クロー」という人種による差別と隔離の法制度です。これにより、鉄道、バス、食堂、劇場など公共の場所で黒人は白人から隔離されることになり、これは南部だけでなく北部でも適用されました。

20世紀に入ると、ブッカー・T・.ワシントンやWBEデュボイスらがそれぞれ異なる方針で黒人解放運動を展開しましたが、後半に入ると状況は大きく変化することになります。まず、公教育における分離教育を違憲とする「ブラウン判決」(1854年、55年)が下されます。同判決により1896年の「プッシー対ファーグソン判決」で示された「分離すれども平等」という人種隔離制度を支える憲法上の根拠が崩れました。また、ほぼ同じ時期にキングを中心にバス・ボイコット運動が展開され、公民権運動はワシントン大行進へと繋がっていきます。

公民権運動が高まりをみせるなか、1964年には新公民権法が成立します。ケネディ政権時から検討が開始され、その後同大統領が凶弾に倒れたため、あとを引き継いだリンドン・B・ジョンソン政権で成立した同法は、投票権の行使における人種差別を禁じ、また人種・肌の色・宗教・出身国により公共施設での人種隔離を禁じ、半世紀ほど続いた法制度としてのジム・クローに終止符を打つことになりました。さらに、同年には差別されてきた黒人や女性などの少数派に雇用や教育の機会を保障するための積極的措置(アファマティブ・アクション)が実施されることになります。アファマティブ・アクションには逆差別という問題が含まれるものの、少数派にとっては一定の効果をもたらしています。

話は少し変わりますが、公民権運動が展開されていた1960年代のアメリカは、こうした人種差別の撤廃という課題に対処を迫られる一方、対外的にはヴェトナム戦争に深く関わっていました。当時はまさに内憂外患の時代にあり、アメリカの威信は大きく揺らぎ始めていくことになります。ここでは詳しく説明しませんが、ヴェトナム戦争を理解するためには、冷戦構造という当時の国際関係を理解することが不可欠です。

また、この時代のアメリカを理解するためには若い世代の人々にも注目しなければなりません。学生を中心とする若い世代の人々が、既存の価値観に反旗を翻したからで、そうした彼らの動向は、公民権運動やヴェトナム戦争と密接に関わっていました。当時の若い世代の動向は、「対抗文化(カウンター・カルチャー)」と呼ばれ、その影響は日本にも及ぶことになります。当時若者のあいだで流行した曲に『風に吹かれて』があります。一度歌詞を読んでみてください。当時の若者が何を考え、何を求めていたのかが伝わってきます。この曲がリリースされたのは、ワシントン大行進が行われた1963年でした。

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