「社会学」って、どんな学問?

心理学については、それがどんな学問なのかご存知の方は多いと思います。高校までの授業に「心理学」という教科があるわけでもありませんが、「心理学」という言葉は私たちの日常語のなかに定着していますし、どのような学問なのかについて、多くの方が容易にイメージを抱くことができるかと思います。

  • 谷根(千)を歩いて

しかし、「社会学」という学問に関しては、残念ながら心理学ほどには広く知られていないようです。人びとの意識や行動、あるいは広い意味での人間理解に対する関心を出発点とするという点では、心理学も社会学も共通しているといえます。ちなみに、高校で学ぶ教科との対応でいえば、社会学は「現代社会」で取り上げられる内容の一部に似ています。「似ている」というのは、関心が向けられる対象やそれを論じる視点が、高校の「現代社会」と大学で学ぶ「社会学」とではやや異なるからです。では、社会学とはいったいどのような学問なのでしょうか。それを、心理学と比べながら説明してみたいと思います。

たとえば…。
ここ数か月あまり、若者のあいだでTwitterなどのSNSに、仲間ウケをねらって悪ふざけが過激化した非常識な写真を投稿する事件が社会的な話題となっています。一例をあげると、アルバイト先の飲食店やコンビニエンスストアなどで業務用冷蔵庫にしのび込む…、ピザ生地で顔を覆い「ピザって息できないんだな」とつぶやく…、ジェットコースターに乗っている途中に仲間全員で服を脱いでポーズを取る…、などなど。

これらの事例を心理学的な視点でとらえるならば、たとえば、「そういうときって、どんな心理状態なのだろう」「それらの写真をツイッターに投稿する心理とは」「彼らって、どんな性格の持ち主なんだろう」といった関心が向けられることになるでしょう。

社会学がどのような学問かを説明するのは、じつは、少し難しいことです。さしあたりは「社会について研究する学問」といえそうですが、そもそも「社会」には、目で見ることのできるような、手でさわれるような「実体」がありません。いわば空気のようなものです。「社会」って何のことだろうと理解しようと思えば、常識的なものの見方から一歩下がってクールにとらえ直す視点が欠かせません。また、社会学的なものの見方をめぐってはさまざまな解釈があるという事情もあります。けれども、さまざまなとらえ方に共通して次のことは言えると思います。人びとの意識や行動にはすべて社会的な背景や要因がある、と。

心理学的な関心は、おもに一人ひとりの個人に向けられます。たとえば、その人の心理状態はどうであるか、その人はどのような性格であるか、などのように(集団や社会を研究対象とする心理学もあります)。いわば“こころの状態”に着目して、人びとの意識や行動を読み解くのが心理学のスタンスだといえるでしょう。社会学も、個人を考察対象にすえることがありますが、それ以上に、個人をとりまく社会や、個人がおかれている社会的環境に目を向けるのが基本的なスタンスです。別な言い方をすれば、「なぜ、その人はそのような行動をとるのか」「いかにして、その人がそのような行動をとるにいたったのか」というのが心理学の基本的な着目点だとすれば、社会学は、「何がその人をそのような行動に導くのか」というとらえ方をします。その前提には、「等しい条件の環境下に置かれるならば、人は誰でも(善いことであれ、望ましくないことであれ)同じような意識や行動をとり得る」という発想があるといえます。

「何が彼らをそうさせるのか」…、非常識写真の投稿の事例をそういう視点でとらえるならば、たとえば、仲間ウケと社会的常識とのギャップに「公と私」についての感覚の世代的な変容をみてとることができそうですし、「仲間」とそれ以外の“境界”を成立させる時間意識と空間意識の問題が浮かび上がってきそうです。そこには当然、スマートフォンやSNSといったメディアの普及がコミュニケーションに与えた影響も無視できません。また、この事例は基本的に、社会規範の成立根拠の問題としてとらえることができます。規範(=道徳)というと、真っ先にきまりや法律のことを思い浮かべるかも知れませんが、規範が法によって成り立っているケースはむしろ例外的で、「こういう時にはこうするものだ」という「習慣」や、私たち自身の善悪に対する意識、「あれはマズいよね」という「冷たい視線」がきわめて重要な役割を果たしています。このような事件に、なぜ男性の若者ばかりが登場するのかという点も気に掛かるところです。

ちなみに社会学は、どのような意識や行動が望ましいあり方か、そのためにはどうすべきかといった道徳的課題を論じる学問ではありません。問題にしないというよりも、まず、人びとのその意識や行動の背景にどのようなメカニズムがあるのか、社会がどのように成り立っているのかについて「精確に」理解すること、そこに関心の焦点を向けているのが社会学です。嘆かわしい現象であれ、逆に、素晴らしく善い行いであれ、その“フツー”ではない事例を考えることにより、ひるがえって、私たちの日常生活を成り立たせている、当たり前すぎて気付かずにいるメカニズムについて発見する…、それが社会学を学ぶことの知的な面白さです。

(榎本 環)

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