着物文化のお祭り「七夕」

今年も「学燈会(がくとうえ)」でお話する機会をいただきました。「学燈会(がくとうえ)」は、駒澤学園の建学の精神を知り、日本文化に親しむ行事です。今年は何と7月7日、七夕の日が私の出番になりました。そこで、「織姫の文化」と題して、七夕行事の由来から始まり、浴衣の素敵な着こなしで終えることにしました。

七夕は遣唐使が日本に伝えて始まった宮中や公家の行事「乞巧奠(きこうでん)」に由来し、いまでも宮中や冷泉家などに伝承されています。織物を始め、書や歌など各種の技能の上達を神様に祈る行事です。お供え物には食物のほかに、五色に染めた絹糸を祭壇に飾ります。牽牛織女の物語が背景にあるので、織物の上手な織姫様に機織の上達を祈るのです。織姫は製糸業や絹織物産業では神様として祀られ、全国各地の絹織物や生糸の産地には、たいてい「織姫神社」や「棚機(たなばた)神社」「倭文(しどり)神社」があります。

  • 谷根(千)を歩いて

現在ではファストファッションが普及し、傷んで着られなくなったわけでもないのに、デザインが古くなったという理由で衣類を捨てる時代ですが、1960年代の高度経済成長までは既製服がなく、生地を買って家庭で衣服(和服と洋服)を作っていました。さらに前の大正時代頃までは、全国の多くの農家では、蚕や麻、木綿など衣類の素材を自分で育て、出荷した残り物で糸を紡ぎ、草木から抽出した染料で糸を染め、機を織って生地を作り、生地を裁断・縫製して、家族の衣類を完全に自給自足していました。『きものという農業』(中谷比佐子著,三五館)という本があるように、衣類は農業と直結し、養蚕や種まきから苦労して作っていました。

  • 浴衣いろいろ
    浴衣いろいろ

長い日本の歴史から見れば1世紀にも満たない最近まで、衣類はたいへん貴重で高価でしたので、リサイクルやリユースも徹底していました。たとえば、着古して擦り切れ始めた浴衣は一度解体して、擦り切れの激しい裾や肩を帯に隠れる部分に持って行くなど、布地の位置換えをします。それでも着られなくなったら寝巻にします。寝巻がぼろぼろになったら、赤ちゃんのおしめにします。その頃には生地がかなり柔らかくなり、皮膚が薄くて敏感な赤ちゃんの肌に適します。さらに生地が傷んで端切れになったら、雑巾やはたきにします。それにも耐えられなくなったら焼いてしまいますが、灰は肥料になって植木を育ててくれるように、最後まで無駄なく使い切ります。

富岡製糸場が世界遺産になりましたし、「日本三大七夕」と言われている七夕祭りのうち、平塚(神奈川県)と一宮(愛知県)は七月、仙台は八月です。花火大会や夏祭りももうすぐです。織姫に敬意を持って衣服を大切にする日本の伝統を思い出し、ぜひ浴衣を着て出かけてください。着物は世界の女性が憧れ、一度は着てみたいと口々に言います。最近まで東京で展覧会が開かれていた画家バルテュスの夫人、節子・クロソフスカ・ド・ローラさんは、長年の海外生活を着物で通している素敵な日本人女性ですが、彼女のように日本女性の着物姿は世界のどこに行っても絶賛されます。私たちと一緒に着物美人の一歩を踏み出してみませんか。

  • 谷根(千)を歩いて

文中の七夕の写真はすべて「湘南ひらつか七夕まつり実行委員会」のご協力による

(石田かおり)

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