痛みを伴うコミュニケーション――「夫婦別姓訴訟」から考える/大貫 恵佳(社会学)

コミュニケーションは、ときに痛みを伴う。自分の思いを拒絶されたり、否定されたりして、傷つくことがあるかもしれない。逆に、自分の考えを伝えることによって、誰かを傷つけたり、わずらわせたりすることがあるかもしれない。相手が大切な人であればあるほど、伝えたい気持ちが切実であればあるほど、その痛みは大きい。だから私たちは、しばしば、それを避けて、思いをのみこむ。

昨年末、2011年から4年以上続いていた、いわゆる「夫婦別姓訴訟」が幕を下ろした。最高裁判決の法廷意見は、民法の夫婦同姓規定を合憲とするものであった。この判決への批判はすでに法学者らによってなされているから、ここでそれを繰り返すつもりはない。ただ、この訴訟を提起した5人の原告の方々(男女のカップルと3人の女性)のことを少し考えてみる。顔と名前を公表しながら訴えることには、どれだけの痛みが伴ったのだろうか、と。

現在の日本の「婚姻届」には、夫・妻どちらの氏を婚姻後の氏にするかと尋ねる欄がある。どちらを選択してもよいのだが、現状では、約96%のカップルが「夫の氏」を選択している(2014年『人口動態統計』)。つまり、ほとんどすべてのカップルが「夫の氏」を選んでいるのだ。どうやって、その選択にいたるのか。結婚経験のある人たちに聞いてみると、男女ともに、きちんと話し合いをしたという人はほとんどいない。みな、「とくにこだわりがなかったから」「なんとなく」決めたという。「なんとなく」決めると「夫の氏」になるということが、今の日本を見事に映しているということなのだろう。

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姓を変えるということは、アイデンティティの問題を持ち出すまでもなく、種々の(本当に面倒な!)手続きを考えるだけでも、「なんとなく」決意できるような簡単なことではないはずだ。それでも、私には、「なんとなく」という言葉を選ぶ彼女たちの気持ちが分かるような気がする。その軽やかな言葉は、「私は姓を変えることに、何の深刻さも重苦しさも感じていない」という表明なのだ。それは、自分自身とパートナー、周囲の人びとの痛みを最小限にとどめるために周到に選ばれた「優しい」言葉だ。

たとえば、結婚後の姓について、「どうする? あなたの姓にする? 私の姓にする?」と膝を交えて話し合ってみたらどうなるだろう。それが議論に上ることさえ、想定していなかったという男性もいるかもしれない。「夫の氏にするのが“普通”じゃないの?」と驚く人もいるかもしれない。夫になる人が理解してくれても、彼の両親はどう思うだろう。私の一言が、大切な人たちをわずらわせてしまうかもしれない。それなら、このことには触れないでおこう。こうしたもろもろの思いが一瞬のうちに駆け巡る。そして彼女たちは、すべてをのみこんで、「なんとなく」決めることにする。「なんとなく」には、だから、いろいろな気持ちが詰まっている。

先日、男性の友人と別姓について話をした。先の訴訟のおかげで、それは今や私たちの社会の共通のアジェンダとなった。「姓を変えると、女性は結構面倒らしいね」「うん。でも手続き的なことだけじゃなくてさ、パートナーにさえ、『名字どうする?』って聞いてもらえないことが、つらいんだよね」。何気ない私の言葉に対して、「そのつらさは今まで考えたことがなかった。教えてもらえてよかった」と彼はいった。大げさなようだが、私は戸惑うくらいに嬉しかった。そして、痛みを引き受けて自らの思いを言葉にした、あの5人の方々のことを思った。

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