嗜み(たしなみ)/光田 督良(憲法学)

「学生らしい行動」あるいは「その態度は学生らしくない」など「~らしい」、「~らしくない」といったことをよく言われることがあるでしょう。私は、この「~らしい」、「~らしくない」といった言葉が好きではありません。それは、「~らしい」「~らしくない」という言葉が、既成の価値や観念を基にそれに当てはまるかどうかを問題にしているからです。ちなみに、「らしい」は辞書の項目にはありませんが、「らしくない」の意味としては、①いつもと違っているさま、②既成の価値観、従来の規律からはずれているさま、③それらしくない、といったことが記載されています。

既成の価値、観念は、それを判断する人(判断者)によって異なります。判断者がそうだと思っていることを他者に押しつけるとき、事細かな理由をあげることなく、「~らしい」「~らしくない」という言葉を用いて、自分のイメージに合致するように他者にも求めます。これでは自分の価値の押しつけに他ならないのではないでしょうか。もっとも「自分らしく」だけは例外です。それは、「自分らしく」という場合、起範者(ルールを作る人)と受範者(ルールに従う人)が同一人物であるので、価値の押しつけということが生じないからです。

日本国憲法に規定されているような個人の尊重を重視する考え方の下では、このような価値の押しつけは許されません。あくまでも個人の自主性、自律性を尊重することが要請されます。しかし、個人の自主性、自律性を尊重することは、利己的に振る舞うことを許すということではありません。そこには当然に限界が存在します。

個人の自主性、自律性が尊重されつつも、利己的な振る舞いは許されない、といった場合、どのような意識の下に行動することになるのでしょうか。いろいろな考えがあるでしょう。その一つとして、私は、「嗜み(たしなみ)」「嗜む(たしなむ)」ということがあげられるのではないかと思っています。辞書によりますと、「嗜み」の意味としては、①好み、趣味、余技、②芸事、などに関する心得、好み、③慎み、節度、④普段の心がけ、用意、が紹介されています。嗜みの動詞である「嗜む」の意味としては、①好んで親しむ、愛好する、②好んでそのことに励んでいる、芸事などの心得がある、③つつしむ、気をつける、用心する、④前もって用意しておく、心掛ける、⑤見苦しくないように整える、があげられています。

これらの意味のうち、「個人の自主性、自律性が尊重されつつも、利己的な振る舞いは許されない」との関係で、私が大切だと思っている「嗜み(たしなみ)」「嗜む(たしなむ)」は次のような意味です。

このような「嗜み」「嗜む」の姿勢を持って他人や自分に向き合えば、きっとよい人間関係が築けると思います。

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