道元禅師のことば【第4回】

一発菩提心(いちほつぼだいしん)を百千万発するなり。
修証(しゅしょう)(修行とさとり)もかくのごとし。
道元禅師『正法眼蔵』「発無上心」より

仏道とは、まず最初に発心し、修行を重ね、そして悟ると一般には考えられています。しかし道元禅師は、発心も修行も悟りも一つであり、毎日毎日繰り返し発心修行していくことが大切であるとします。禅の修行では、ここで終わりということがありません。

能楽を大成し曹洞禅に参じた世阿弥は「老後の初心忘れるべからず」と言っていますが、ベテランの能楽師でさえ初心が大切です。

たとえば何十年も無事故無違反で表彰されたタクシードライバーであっても、その表彰状が今日の死亡事故を防ぐわけではありません。真のベテランドライバーはそのことを肝に銘じ、今日の運転に全力で向き合っていくのです。

『老後をよく余生といいますが、人生に余りの命があるのでしょうか。今日という日は二度とやってきません。かけがえのない今日の命を老いも若きも精一杯歩んでいくしかないのです。