2045年問題/小林 憲夫(メディア文化)

「20××年問題」と題する用語は多い。時期的に近い順で言えば2018年問題が始めだろう。18歳人口が大幅に減り始めることで、大学の淘汰が進むであろうし教員の待遇が悪化するのは避けられない。次は2020年問題、企業が大量採用したバブル世代社員や団塊ジュニア世代社員の高年齢化にともなうポスト不足、人件費負担増などが起きると言われている。さらに約800万人と言われる団塊の世代が75歳(後期高齢者)を迎える2025年問題、65歳以上の高齢者が人口の1/3を占め総人口が大きく減る中で労働者不足が深刻になる2030年問題がある。今回はこれらの後に来る、社会を大きく変える可能性のある2045年問題について考えてみよう。これから社会人となり就職する学生にとっては他人ごとではないからだ。

2045年問題は日本ではあまり話題にならない。しかし米国では数多くの関連書籍が発行され、その翻訳本が紹介されてようやく日本人の知るところとなった、「2045年に人工知能が人間の知能と同じレベルに達することにより生じる諸問題」である。これまで人類は自分たちを超える知性を経験しなかった。それゆえ人類は生命連鎖の頂点に君臨し続けることができ、地球上の資源すべてを支配し利用できた。その人間が自らの手で開発してきたコンピュータが、2045年にはついに知性において人間と並ぶと予測される。この時を科学者は「技術的特異点(Technical Singularity)」と呼ぶ。特異点とはそこから先を見通すことのできない地平という意味で、自分たちを超える知性を知らない人類には、人工知能が人間の知性を超えた後を予測するのは困難だからである。

未来のある時点でコンピュータ技術が爆発的に発展し、それより先はコンピュータの行く末を人間が予測できなくなるという仮説、この時点を1993年にヴェルナー・ヴィンジが「特異点」と命名した。その特異点が2045年であるという根拠は、コンピュータの集積度が18か月ごとに指数関数的に増大するという「ムーアの法則(Moore’s Law)」である。フェアチャイルド社の研究者だったゴードン・ムーアは、1965年に、「集積回路上のトランジスタ数は18か月(1.5年)ごとに倍になる」ことに気づいた。その後30年近くをトレースした結果、まさしくその通りの技術的発展が行われたことを知った人々はこの経験則を「ムーアの法則」と呼んだのである。

一定期間ごとに倍増するという指数関数的増加が何を意味するかは、豊臣秀吉と曾呂利新左衛門の寓話がわかりやすい。秀吉が新左衛門に何でも好きな褒美を取らせようと言ったときに彼は「一粒からスタートして、毎日倍の数のお米を足し100日分をいただきたい」と答えたそうである。秀吉は最初、それはたやすいと二つ返事で受けたのであるが、よく考えてみるとこれはとんでもない結末になる。新左衛門の要求を数式であらわすと以下になる。

1+12+22+42+82+162+……..=2100-1

この場合、50日もいかないうちに米粒の総数は富士山より高くなり、100日分は1,267,650,600,228,229,401,496,703,205,375 粒という天文学的数字になる。世界中の米粒を集めても到底足りないのだ。これに気付いた秀吉は慌てて他の褒美にしたという。

コンピュータが生まれて60年が経とうとしている現在、その能力は目覚ましく向上を続けている。コンピュータがチェス名人から初めて勝利を奪ったのは1996年である。1990年代には不可能と言われた自動翻訳もすでに実用化され、2006年に100㎞も走れなかった自動運転自動車は、2010年には米大陸を難なく横断し、2012年には人工知能が無数のデータから自分の好みの画像を描き出すという「漠然とした意識」を持つまでに至っている。現在3歳児程度の思考能力を持つと言われるコンピュータ(人工知能)が、さらに指数関数的進化を続け人間を超える「技術的特異点」の時期を、人工知能の権威であるレイ・カーツワイルが2045年と断定したのである。

「特異点」の先には何があるか、それを予測することはできない。しかしあらゆる意味で人間より優れた人工知能(ロボット)が人間を「仲間」と見做す可能性はあるのだろうか。小説にロボットが登場したのはカレル・チャペックの「R.U.R(邦題「ロボット」:1920)」が最初だが、すでにそこでは工場から出てきたばかりの召使いロボットが「私たちよりひ弱な人間が私たちを作ったとは信じられない」と反旗を翻す。映画に初めてロボットが登場した「メトロポリス(Metropolis:1927)」では、超階級社会において作られたロボット「マリア」が悪の化身として労働者に反乱を呼びかけた。有名な「2001年宇宙の旅(2001, A Space Odyssey:1968)」でも人工知能HALが任務遂行のため人間は不要と判断し排除を試みる。冷戦期の「ウォー・ゲーム(War Games:1983)」では軍事用人工知能がシミュレーションに基づき核戦争を始め人類は生存の危機に立たされる。また「ターミネーター(The Terminator:1984)」には、サイバーダイン社の人工知能が反乱を起こし人類が滅亡に瀕する未来から来た殺人ロボットが登場する。

どうやら進化したロボットは人間と共存することはできないと考えられているようだ。神に似せて創られたと言われる人間を超える存在は、「悪」しかないのであろうか。SF小説ではこれを見越してロボットの暴走を抑止する「ロボット工学三原則」なるものも登場している。アイザック・アシモフは「われはロボット(I, Robot:1950)」で、以下のロボット工学三原則により人間との共存を模索している。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

またアシモフは米国建国200年を記念した小説「バイセンテニアルマン(Bicentennial Man :1976)」では、逆に人間に近づくためにアンプラグド(死)を選ぶというロボットを描いている。

私自身は2045年に生きている可能性は低く、人工知能と人類とがどのような共存形態になるかを目の当たりにすることはない。だが学生達は間違いなく2045年を働き盛りで迎えるのである。人間より優れている人工知能ロボットと共存する社会とはどんな姿になるのであろうか。肉体労働・知能労働にかかわらず人間しかできない労働がさらに限定され、間違いなく起きる技術的失業により社会の二極化が進行するだろう。そこで私たちは改めて「人間とは何か」を自身に問いかけることになる。ルソーが言うように人間のあるべき自然法の原理が「自己保存の原理」と「他者への愛」であるなら、我々は自分たちの生存のために地球全体に思いをはせることが求められるに違いない。そこで我々人類は史上初めて「他の生命体との共存」でなく「他の知的存在との共生」を模索することになると、私はおぼろげに、しかし確信を持って想像するのである。

(このエッセイは人間関係学科の授業「現代社会総合講座」の内容を元に構成しました。今期のテーマは「サイバーアニミズム」です。)

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