道元禅師のことば【第2回】

東司上不説仏法(とうすじょうふせつぶっぽう)の道理を思量(しりょう)すべし
『正法眼蔵』洗浄の巻

東司とは禅寺のトイレのことです。この一文は、トイレで仏法をひと言も語らぬ道理を考えよ(思量すべし)という意味です。難しい言葉ですが、どんな意味が込められているのでしょうか。

そもそもトイレは不潔でトイレ掃除は誰しも嫌がる仕事ですが、古来、禅寺では陰徳を積む大切な修行とされます。かつて、永平寺の森田悟由ごゆう禅師が正宗寺という寺に宿泊された時のこと。その寺で小僧をしていた山田霊林れいりん禅師は真夜中に急にもよおしたので、日中は使用を控えるように言われていたトイレに駆け込むと、そこに森田禅師が黙々とトイレを掃除している姿がありました。

森田禅師はその時すでに高齢でしたが、誰にも気づかれない真夜中に自らの修行として掃除をなさっていたのです。山田禅師は大きな感銘を覚え、修行とは何かを森田禅師の無言の説法で知ったのです。人が気づこうと気づくまいと、黙って陰徳を積む、それが「東司上不説仏法」と言えるのです。