家族の成長[英語科 濱田]

早いもので主人が他界してから3年が経ちました。10年の闘病生活を二人三脚で、お互い寄り添いながら過ごしました。息子は就職し寮に入りましたのでほとんどを2人で乗り越え、毎週の通院や検査、治療と病院を掛け持ちし、考える余裕もなく日々が過ぎていったように思います。コロナ禍のため一度病院にはいれば会うこともかなわず心配な日が続いたのを思い出します。

もう治療ができなくなった最期に息子が寮から戻り、家族3人で2週間ぐらい過ごすことができました。家に持ち込んだ介護ベットの上で3人仲良く肩を寄せ合い食事をしました。

そして私たち二人を残し、主人は逝ってしまいました。二人になり、小さな家族になり、寂しいものだなと思いました。それでも日々が過ぎ、家族は成長していくのです。

息子の結婚が決まり、今年の初めお相手の家族と顔合わせがあり、新しい家族との出会いに幸せを感じました。息子自身も私が一人なのを心配し、高校生の頃は口もきいてくれずかっこつけていたのに、今ではよく声を掛けてくれます。家族を持つという責任感は人を育てるのだなと感心しました。

そして顔合わせから間もなくして、新しい命が宿ったと報告を受け、「えー、私もおばあちゃん?」「マダおばーちゃんになる覚悟はできないぞ」と、一瞬焦り、それからは、自分の母親がそうしたように、あれもこれも目に付くベビー用品を買っては笑顔になる、ダメおばーちゃんになったように思います。

初孫誕生の日、楽しみにしていたのですが、仕事で沖縄修学旅行の引率で近くにいることはできませんでした。出発の羽田空港ではクラスの生徒とともに「励ましライン」を送り、朗報を待つ日が続きました。修学旅行2日目、アブチラガマで戦争体験のお話を聞き、人の生死がゆがめられてしまう戦争のむごさを感じ、悲しさを生徒と共有しました。

その同じ日に17時間の陣痛を経て、男のこが濱田家に誕生しました。

私たちはずっと悲しみの中にいるわけではありません。毎日の中に幸せがあり、励ましがあり、笑顔があり、感謝があり、悔しさがあり、達成感があります。ただ、それを分かち合う家族がいれば、いろいろなことが何倍にも幸せに感じられるものです。

新しい命の誕生に感謝します。

英語科 濱田

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