ライフワーク[社会科 永井]

ライフワーク? 「人生をかけてやる仕事」なのだろうが、ここではちょっと違う。仕事というよりも趣味に近い。趣味でも、生涯かけてやり続け、極めていくようなものであればライフワークだろうと勝手に思い込んでいる。

私は、新潟の寺に生まれた。小学校に上がる前から、裏山にある畑で石ころを拾っては畑の端に集めるのが仕事だった。やがて、その石ころの中に矢じりや土器片がたくさんあることを知る。小学校の自由研究のテーマにした。担任にほめられ、社会科が好きになった。図に乗って、将来は社会科の教員になると作文にまで書いた。高校生になって、自分の育ったお寺の土蔵の中に、多くの古文書があることに気づいた。何十年も放置され、ほこりをかぶった物体が呼びかけきた。

それから自己流で、古文書を読みながら、時間は過ぎていく。大学では、歴史学を専門とする学科を受験し、将来は高校の日本史の教員を目指した。大学での研究テーマとは別に、「趣味:お寺の古文書整理」。そこで興味を持ったテーマが、今のライフワークとなった。大学の文化財調査室に通い、全国の寺院で調査された古文書の影写を閲覧させてもらって解読し、自分の寺にあった古文書ではわからない部分を調べた。

2004年の中越地震でお寺の土蔵は崩壊。崩れた土壁の下から古文書を探し出し整理した。当時の校長先生の勧めもあって、初めてまとめたものを論文として発表した。平成25(2013)年のことだ。書き始めてから35年が過ぎていた。大した反響もなかったが、それから毎年必ず発表するようにしている。

学校では日本史の授業から離れているが、自分の原点を忘れないことで、今の自分があると思う。時間を作って、資料館・博物館・大学図書館などを訪ね、古文書や資料を見せてもらうとワクワクする。疲れるけれど、努力して何とか読もうとする。そして、明日からの授業と生徒に真摯に向きあうという意欲が湧いてくる。
幼かった自分が、何気なく興味を持ったものと一生付き合うことになり、将来の職業を決定することになろうとは。今考えると不思議な因縁といえよう。

こんなことを思いながら、子どもたちに、「一生取り組めるものを見つけてほしい。」という思いを押し付けることは迷惑なことだろうか。余計なお世話なのだろうか。
さあ、今日も頑張ろう。

社会科 永井

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