「春夜桃李園宴序」に寄せて[国語科 中野]

四季折々、美しい駒沢学園ですが、その中でも一番美しい季節を迎えています。このように春の花の美しい季節になりますと、私は、自分の高校2年生の時の古典の授業を思い出します。

李白という中国の詩人の書いた文章、「春夜桃李園宴序」という漢文の授業でした。私の古典の先生は、それは熱く李白という詩人の偉大さを語り、この文章の持つ流麗さと力強い内容を説明し続けました。
当時の私は、先生の熱さに圧倒されながらも、その授業の中で、かの有名な松尾芭蕉が、尊敬してやまなかったのがこの李白という人物であることや、誰もが一度は勉強する「奥のほそみち」の冒頭部分は、この「春夜桃李園宴序」を踏まえて書かれたことなどを知りました。

この文章の素晴らしさとともに、芭蕉を愛する父に「奥のほそみち」の一節から「早苗」と名づけられた私には、この漢文が長い時代を超えて、私のところへやってきたような、大変特別なものに感じたのを今でも覚えています。
「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客。」で始まる「春夜桃李園宴序」は
~桃やすももの咲き乱れる庭園に集まって宴を開く。月を眺めながら、人生は儚いのだから、楽しむ時間は貴重である。大いに楽しもうではないか~という李白の人生観も述べられています。

「人生は儚い、だからこそ大いに楽しもう!」時に受験生だった私は、ここに一番共感したのかもしれません。そしてそれは現在のわたしの人生観でもあります。そしてもうひとつ、もし私に女の子を産む機会があったならば、この漢文の中の花の名前を付けようと決意したのも、この高校2年生の古典の授業の時でした。

国語科 中野

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