未来の私[国語科 渡部]

突然ですが、掃除が嫌いです。
とはいえ、汚い状態も我慢できないので、溜まっていく埃や汚れに対し、忌まわしい気持ちで掃除をしてきました。
「掃除は動く坐禅だ」とか「綺麗になったら気持ちいいじゃない」と言う人もいましたが、彼らの言葉は全く心に響きませんでした。私にとって綺麗な状態が通常=0なので、掃除をしてもマイナスがゼロになるだけで、その過程を楽しい、気持ちいいとは思えませんでした。

  • 教室を掃除するこまぽん
    教室を掃除するこまぽん

が、しかしです。先日、床掃除をしていた際、ちょっぴり楽しみながら掃除している自分がいたのです。「あれっ。今、綺麗になるのが楽しいと思いながら掃除をしている!!!!!」と。

そんなに驚くことか、と思われるかもしれませんが、生まれてこの方、積もっていく埃や床に落ちている髪の毛を親の仇のような憎らしさで掃除していた私にとって、その過程を「楽しい」と感じることは大きな衝撃でした。
その時思ったのです。昔は苦手だとか、嫌いだと思っていたことが、好きになっていることって意外とあるなーと。

10代の頃は鷗外が好きになれませんでした。
杜甫や山上憶良よりも、李白や大伴旅人が好きでした。

年を重ねる中で、自分が到底好きだと思えなかったことに魅力を感じたり、全く理解できないと思っていた世界に感銘を受けたりすることがあります。今の自分の姿を10代、20代の自分は想像できませんでした。そう考えると、10年後の自分は、今の自分が想像もできない自分になっているかもしれません。
自分が予想もできない自分になっているかもしれない、と考えると、わくわくしませんか。

私は〇〇が得意だ。〇〇は嫌いだ。〇〇しがちだ。

私たちは自分の可能性を自分で決めつけて、その可能性を自らで狭めていることがあるかもしれません。大嫌いだと思っていたものが大好きになったり、向いていないと思っていたことが、意外と向いていたりすることもあるでしょう。
自分の可能性を自分で決めつけず、一瞬、一瞬の自分の気持ちに耳を傾け、10年後の自分が驚くような自分になるために、今日を精一杯生きたいと思うのです。

国語科 渡部

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