なぜ「いただきます」と手を合わせるのか?

みなさん、こんにちは。
今日は駒沢学園で行われている、「会食」についてご紹介します。

「会食」と聞いて、なにか面白そうだぞ、と思ったあなた。
これは普段使う、「みんなと楽しく食事をする」という意味ではありません。

ただ黙って食事をする日です。
なぜ、会食を行うのか、まずは会食の前にみんなでお唱えする「五観の偈」からひも解いてみましょう。

  • 会食の様子
    会食の様子
  • 一には、功の多少を計り、彼の来処を量る
    この食物が、この食卓に運ばれるまでには、多くの人々がかかわりました。その苦労に対して感謝します。
  • 二には、己れが徳行の全欠を忖って供に応ず
    日ごろの行いを振り返って、この食物をいただくのに、ふさわしい行いができているか、反省していただきます。
  • 三には、心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす
    心を正しく保ち、過ちを離れるためには、貪りや怒り、愚痴といった仏教でいう三毒を離れます。
  • 四には、正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり
    食事は良薬なので、身体を養い、正しい健康を得るためにいただくのです。
  • 五には、成道の為の故に、今此の食を受く
    食事を喜んで頂いて、りっぱな人間になるように努力しましょう。

このお唱えは「食事の心得」です。
なぜ食事をいただくのか、この食事はどこから来たのか、どのような気持ちで食事と向き合うことが良いのか、自分自身のこころに向き合います。

私は、インドに行ったときに、衝撃的な体験をしました。
1m四方のケージに、隙間なく詰め込まれ、暴れている鶏。それを手慣れた手つきで一羽を取り出し、空中に羽が舞い上がるのを見ました。道の通りで、白昼堂々、お肉にするまでの過程を見せつけられながら生活をすることのカルチャーショック・・・。まさに生死とともに生きているインドの懐の広さを垣間見た瞬間でした。
日本では、きれいにパックされたお肉がスーパーで陳列されています。それも迷うほどたくさんありますね。
焼肉屋食べ放題で「うまい、うまい」とおなか一杯食べます。こういう日常は、果たして本当に「豊か」なのでしょうか?
お米、それは農家さんが手塩にかけて育ててくれたのです。
牛肉、これは牧場で愛情をかけられて育った牛さん、それをお肉に加工してくる人がいて、料理してくれる人がいて、いま自分が食するのです。

よくよく考えてみると、食べる、ということは、すべてのいのちをいただいている、ということに気づきます。
自然と感謝の気持ちが沸いて、手を合わせるのではないでしょうか。
そして、大切な命を頂いて、自分が「生かされている」ということに気づくと、自分が愛おしく、大切な存在で、よりよい生き方をしていこうと思いませんか?

いのちは連鎖しているのですね。

こうした気づきを駒沢学園では大切にしたいのです。
このため、ただ黙って食事をいただく、そんな日常があるのです。

仏教科 中村友恵

新着情報:新着投稿一覧へ