目の前の課題を一つずつ
着実に行っていくことが大切。
目標に向かって頑張ってください。

慶應義塾大学 看護医療学部
瀬尾さん

小学校1年生から始めた野球を、中学校に入っても継続して頑張りたいと思っていました。人工芝のある綺麗なグラウンドや、女子部員のみで練習できる環境の中、男子との体力差を気にせずに、野球に専念できるという思いが強まり、駒女に入学することを決めました。

6年間で私が野球のほかに頑張っていたのは、英語学習です。中学校3年時は、現校長の土屋先生が英語の授業担当だったのですが、先生の授業のおかげで英語の基礎力を身につけることができたと思っています。授業では、教科書の英語の文章をすべて暗記し、書き出すテストがありました。これに合格するまで、再試となるテストでしたので、私は一発で合格できるように、音読したり、書きだしたりと、繰り返し覚えるようにしていました。毎日の勉強はとても大変でしたが、今となっては、その時の積み重ねが、自分の英語の力となっていると実感しています。

また、私は中学校の派遣留学制度を利用し、中学校3年生の夏休みにニュージーランド、そして中学卒業後の春休みにはカナダへ留学しました。初めのうちは、イエスとノーしか言えず、早く日本に帰りたいと思ってばかりでした。しかし、せっかく留学をしているのだから、関わってみなければ変わらないと心に決めて、自分から積極的に話すようにしていきました。そして、コミュニケーションを重ねていくと、ホストファミリーも私に対して色々な話をしてくれるようになりました。この時の経験から積極的に自己主張をすることがとても大切であると学びました。その後、高校2年生で、オーストラリアに修学旅行へ行った際には、その経験が見事に活かされ、ホームステイ先の家族からコミュニケーション力を誉められた時は、とてもうれしかったです。実は、大学1年生の春休みにまたカナダへの短期留学に行く予定です。

高校に入ってから苦労したことの一つに、野球部の部活と学習の両立があげられます。私は特進クラスに所属していましたので、放課後にセミナーがあり授業時間が長く、そのため、部活の練習時間が短いという環境でした。そして帰宅後は疲れのため、復習ができないこともあったので、毎日の授業中に集中して学習することや電車での登校中などの隙間時間に勉強することを続けてみました。また、その日わからないことがあればすぐに先生に質問へ行くようにしていました。特に、部活に関しては、練習時間が短かったので、その分誰よりも朝練習を頑張ろうという思いで、早く学校に登校して基礎的な練習を行うようにしていました。自分が思うような結果が出せず、悔しくて辛いこともありましたが、常に練習に付き合ってくれた仲間がいてくれたことは大きな支えでした。

今の進路を選択したきっかけは、中学校2年生の時に、スポーツ選手のサポートをすることができるスポーツトレーナーになりたいと思ったからです。スポーツトレーナーになるために、医療的な側面でも学びたいとの思いから、看護医療学部を受験しました。希望の大学に進学をしてからは、体の機能や構造を専門的に知ることができ、覚える知識が多いですが、とても楽しい日々を送っています。また、来年から病院実習が始まりますので今は様々な看護技術を身につけるために勉強や実技を積み重ねています。

受験生の皆さん、駒女の先生を信じて、部活や勉強でも何事でも目の前の課題を一つずつ着実に行い、目標に向かって頑張ってください。あきらめないで、努力をすれば、目標に一歩ずつ近づきます。自分ができていることを肯定して、一歩ずつ着実に歩んでいってくださいね。応援しています。

選んだ学校を信じてみよう。
まずは自分が楽しむことで世界が広がります。

富士ヶ丘幼稚園教諭
千葉さん


  • 作法室にて

女子校を受験したのは、中学時代に通っていた塾の先生からの言葉がきっかけでした。はじめは共学校を考えていたのですが、「女子校は面倒見がよい。今通って楽しい学校を選ぶか、後から振り返った時に自分が通って良かった成長できたと思える学校を選ぶか。あなたは女子校が向いていると思う。」その言葉が後押しをしてくれて、併願校に選びました。

そんな高校時代の一番の思い出は、2年生の体育祭です。応援団をすることになり初めて人前に出たり、クラスをまとめることの難しさに悩みましたが、応援団賞を取った時、達成感ややりがいだけでなく、私自身とても大きく成長できた経験になりました。応援団で一緒だった先輩は同じ進路だったこともあり、大学選びでは相談にのってもらうなど、応援団をしたことは私にとって大きな出会いにもなりました。 さらにここでしか入れない部活に入ろうと華道部に入部して、「花の甲子園」に出場し、高校時代に師範も取得しました。

進路を決める際は、もともと選択肢の中にあった保育士の道を選びましたが、そこで併設の駒沢女子短期大学にいくべきか、他校の四年制大学に行くべきか迷いました。実際に通っている先輩方の話を聞き、オープンキャンパスでの楽しそうな姿を見て、駒沢女子短期大学に進学することを決めました。

現在、幼稚園教諭として年少クラスで3歳児の担任をしています。幼児教育無償化になった今、どうしたら保護者に選ばれる園になるのか、より良い教育とは何か、子どものための保育とは何かを考え日々アイディアを練っています。私自身が楽しんで保育をしている時が、子ども達も楽しんで活動に取り組んでいることに気付き、先日は園児と一緒に考えながら、オリンピックをテーマに作品展をしました。保護者の方の協力により、陸上競技選手に幼稚園に来て頂き、実際に競技を見たり本物のメダルを触ったりして作品作りを楽しみました。

同じ3年間でも、どこでどのように過ごすかによって大きく変わります。自分はどんな環境で勉強や部活を頑張りたいのか。どんな先生や先輩がいるところで過ごしたいのかを考えて、自分に合った学校を見つけて欲しいです。

ここでしかできないものを見つけられた
中学・高校時代

駒沢女子大学 人間健康学部 健康栄養学科 在籍
児玉さん


  • 思い出の第2体育館にて

小学校時代に通っていた塾で受験を薦められたことで学校を知りました。受験前には寺子屋komajoゼミ(現Komajoゼミ)にも参加しました。りんどう祭で学校を訪れた時に、中学生の赤いチェックの制服がかわいく、トイレや学校の施設がとてもきれいで、さらに併設の大学に健康栄養科があることから中学受験を決めました。

中学時代には、現校長である土屋先生の英語の授業を3年間受けることができました。英文を読んでペアで発表し合う授業がとても楽しみでした。仏教行事の式典で、学年の代表生徒が舞台を浄める「散華」というダンスがあるのですが、そのメンバーに選ばれて、同級生や下級生と一緒に参加できたこともよい思い出の一つです。中高を通じて6年間仏教を学ぶ中で、礼儀作法や挨拶の大切さ、人の悪口を言わないということが自然と身につき、今でもその姿勢を大切にして生活しています。クラブ活動に武道系のものがあるのが特色の一つで、中学では杖道(じょうどう)部、高校からは弓道部に入り、練習に励みました。特に弓道部では稲城市内の弓道大会で優勝するところまで上達することができました。

管理栄養士を目指すようになったきっかけは、もともと料理を作るのが大好きだったことと、さらに高校時代、盲腸で手術・入院した際に病院で出された食事に自分が元気づけられたことから、他の患者さんを食事で元気づけたいと思うようになったことからです。健康栄養学科の推薦入試では生物と化学の基礎学力試験があるのですが、高3の選択科目でお世話になっていた理科の先生に受験勉強をサポートしていただき、無事に合格することができました。受験の際に先生方が親身になって質問に答えてくれたことに感謝しています。

少人数教育の中学時代は先生や友だちとの距離がとても近く、3年間仲良く過ごすことができます。さらに高校ではクラスの人数は増えますが、一人一人を大切にしてくれる環境で高校からの友人とも文化祭や修学旅行などの行事を通じて絆を深めることができます。仏教の坐禅(ざぜん)の時間は心を落ち着かせることができ、身がひきしまりました。これはKomajoでしか経験できないことです。

センターに立つことが自信に
バトン部と私の出会い

中央大学 文学部 東洋史学専攻
柏瀬さん


  • 「劇団The座」公演より

今、大学で東洋史学を学んでいます。でも昔から歴史が大好きというわけではなかったんです。今にして思えば色々なご縁があってこの環境にいるんだなと感じますし、今しかできないことに最大限に力を入れて充実した日々を送っています。

幼稚園生のころからバレエをずっと続けてきましたが、ある発表会がきっかけでダンスにもとても興味がわいて、小中学生のころはダンスに没頭していました。そして高校受験を意識し始めたころ、駒女の文化祭に行ってみたら、子供の頃から大好きだったディズニーの音楽が流れる中、バトン部の先輩方がキラキラとパフォーマンスをしているのを目の当たりにして心躍りました。校舎はきれいで制服も可愛いし、全く新しい環境に飛び込みたかった私は、進学先は駒女だ、と確信しました。

そしてもちろん、高校ではバトン部に入りました。しかし一つだけ問題がありました。ダンスは誰にも負けない自信があったのですが、バトンのテクニックについてはゼロからのスタートでした。当時、中学校からバトン部に所属していた同学年の部員もおり、負けず嫌いな私は「絶対に追いついてやる!」という気持ちで、日々バトンテクニックを磨いていきました。熱中するあまり、ある大会の前に、顧問の先生に無許可のまま学外でみんなと練習をしてしまい、顧問の先生とコーチを激怒させてしまったことは、いまだから言えるほろ苦い思い出です。そうして私なりに努力を重ねた結果、バトンの初心者だった私は、とうとう大会でセンターに選ばれて踊ることができました。このときの嬉しさとこれまでの努力の自信から、センターは絶対私がとるんだ!という気概でそれからも練習を重ねました。

そして進路は当然、舞台で表現するような道を模索していました。実際オーディションも受けに行きました。しかしなかなか思うようにもいかず、会場まで一緒に付き添ってくれて、不合格の通知に一緒に泣いてくれた当時のコーチにはいまでも本当に感謝しています。その方が「舞台で表現するには実力はもちろん、知識と教養も必要なのよ。」と言ってくださいました。もともと負けず嫌いなため「赤点を取ったら恥ずかしい!」という気持ちで勉強をしていたのですが、みるみるうちに成績が伸び、気づけば世界史は最高の評価をもらうようになっていました。そして3年間私の面倒を見てくださった担任の先生が、私の適性を見出してくれ、現在の大学を進路に考えてはどうかと提案してくださいました。

今の私は東洋史学という学問を学ぶ傍ら大学公認のミュージカル団体「劇団The 座」に所属しています。高校生の時培ったスピリットを忘れず、ヒロインを勝ち取ることができました。今後も、学問や教養を身に着け、そこに裏付けられた深い演技を目指していきたいと思っています。

受験生のみなさんはきっといろいろなことに悩むと思います。しかし、思いがけない周りの一言で世界が開けたりしますし、そして最後は自分の大好きなこと、情熱を信じてみてください。そうすればきっと次のステップのあなたもキラキラ輝いているはずです。

少人数制のていねいな指導が
「なりたい私」の実現を後押しする

東京慈恵会医科大学第三病院 消化器内科 勤務
堀内さん

幼い頃から病気やケガで入院することがあり、看護師を身近で見て憧れを抱いていました。中学からKomajoに進学し、学校行事である大学の看護学部を見学したのをきっかけに、将来の目標を定め勉強に励みました。
Komajoは少人数で先生との距離が近く、一人ひとりに合わせたていねいな指導を受けられ、勉強や進路の悩みにも親身に相談にのってくださいます。研修旅行など学校行事も多く、さまざまな体験を通じて視野を広げることができる機会も、進路を考える手助けになります。

勤務先の病棟では、苦痛を取り除く緩和ケアや、最期を安楽に過ごせるように整えるターミナルケアにも関わっています。患者さんが望むことは何か、叶えるためにはどうすればよいのか……。日々葛藤しながら、先輩看護師と共に、患者さんが希望するケアを実践しています。病気やケガで悩む人に寄り添う看護師として、「人に優しく」という仏教の教えをKomajoで学べたことは、私の大きな支えになっています。

勉強と部活動はメリハリをつけて集中
日々の努力が夢の実現につながる

洗足学園音楽大学 在籍
牧野さん

音楽大学でミュージカルを専門に学んでいます。幼い頃から歌うことが好きで、小学生の頃に大勢で合唱することが大好きで、Komajoでは合唱部に入りました。
高校では特進クラスだったので、勉強と部活は時間をやりくりし、集中することを心がけ、得意科目で点数を伸ばすように勉強しました。時間的、精神的にメリハリをつけることで、より集中力が高まり、部活と勉強を上手に両立できたように思います。
毎年冬に開催されるクラス対抗の合唱コンクールでは、合唱部が模範歌唱を行い、またクラスでは団結力では負けないと、放課後にみんなで練習を重ね、2年連続で全校で1位に。中学生の頃に観たミュージカルに魅了され、将来はこの道に進みたいと考えるようになりました。小学生の頃は引っ込み思案だったのですが、女子校に進み、周りを気にせず自分を出せるようになったことで自信がつき、舞台で大勢の観客を前に歌いたい、と考えるようになっていました。合唱部の先生も「努力して頑張れ」と応援してくださり、夢に向かって頑張っています。

駒女の教育は人としてどう生きるべきか
今の私の指針になっています。

駒澤大学 仏教学部 在籍
海宝さん


  • 杖道部の活動場所、第2体育館にて

実は子供のころから自然と仏教に興味をもっており、それがきっかけで駒女に中学から入学しました。もともとお寺を巡ったりするのが好きだったのですが、あるとき家族旅行で比叡山の延暦寺をお参りしているとき、突然高僧の方から声をかけていただく機会がありました。そのときお話しいただいことがとても心に響いたことがいまだに強く印象に残っています。
また中学受験をする際に駒女には杖道という珍しい古武道の部活があると知り、ぜひこの部活で活躍したいなという気持ちも駒女を受験するきっかけとなりました。

在学中は、本当に色々ことがありましたが、一番記憶に残っていることは、中高の修学旅行です。班のメンバーの組み合わせを自分たちで自由に組むことができてさらに行きたい場所も自分たちで決められて、とても楽しかった思い出があります。思い出しただけで、笑ってしまうのは、中学校の修学旅行の沖縄のビーチでのことです。今では校長先生となられた土屋先生ですが、当時は私たちの担任の先生で、みんなとビーチで遊んでくれていたのですが、ご想像の通り(笑)、先生は浜辺に足をとられ転んでしまい全身海にザブーンと浸かってしまわれて、みんなで大笑いしてしまいました。

今は、とても有意義なキャンパスライフを送っていると感じています。仏教学部ということもあり、講義の内容は専門的で難しいこともあるのですが、駒女で予め仏教を学んでいた私にとっては、自然と習得することが出来て最高の成績も頂いております。今にして思えば、中高のころの仏教の先生方は、分かり易くかみ砕いて私たちに教えてくださっていたのでしょう。

大学に入ってから自分のやりたいことと違うから辞めてしまうとか、遊ぶことばかりになってしまう、という人の話も聞きます。進路の選択は、本当に自分の好きなことを見つけ、それができるような環境の学校を選ぶべきだと感じます。これは、中高の受験にも共通して言えることだと思います。中高の基礎があって今の私があると言えます。大学での学びでは課題も難しくなりますが、自分が好きなことだからこそ乗り越えられると思います。これからも、自分の適性をしっかり見つめてこれからの私らしい進路選択をしていきたいです。

卒業生インタビュー

平成17年度卒 栗原理江さん

進学先:帝京平成大学
就職先:法務省→(転職)にこにこ鍼灸整骨院 開院

- 今までどのようなお仕事をなさっていましたか、また今はどのようなお仕事をされていますか。

高校生の頃から体育教師を目指していました。母校での教育実習では中村友恵先生と一緒でした。大学卒業後は教育関係の仕事に就きたいと思い、教員採用試験や公務員の試験を受け、合格したのが国家公務員の試験です。
国家公務員として、法務省の施設である刑務所で矯正・教育の仕事に就きました。国家公務員なので職種にもよりますが、全国転勤となります。私は山口県で働くことを命じられ、働いていました。やりがいのある仕事、責任感のある仕事で国家公務員としての給与や待遇(福利厚生など)も納得できるものでした。

  • 国家公務員時代
    国家公務員時代

しかし、本当にやりたいことなのか?と思うようになったことから、人に「ありがとう」と感謝される仕事がしたいと思い、国家公務員の仕事を辞めて今の仕事に飛び込みました。
25歳で専門学校に入学し、3年間夜間部に通いながら日中は整骨院での仕事をしていました。28歳で専門学校を卒業し、柔道整復師の資格を取得しました。同時に整骨院で院長を任されるようになり、今働いている整骨院は31歳の時に開業しました。
新しく事業を始めることはすごく大変でした。治療の仕事以外に経営者としての仕事も山積みです。毎日患者さんに「ありがとう」といっていただけるように日々、努力をしています。

  • にこにこ鍼灸整骨院を開院
    にこにこ鍼灸整骨院を開院

- Komajoの思い出や、エピソードをお聞かせください。

正直、高校時代は勉強が全然できなくて、勉強をしたいと思ったことも、ほとんどありませんでした。
硬式野球部だったのですが、文武両道と毎日言われていたのに赤点ばかりとって肩身が狭かったです(笑)
勉強スイッチが入らない私でしたが、それでも当時の担任だった稲津惠子先生の熱血な指導のおかげで、どうにか卒業できたのだと思います。卒業式の日に担任の先生に「成長した!」と言われたのを今でも記憶しています。
そんな私は、今では患者さんを治すために進んで勉強します。それもきっと担任の先生が成長させてくれたからでしょう。だから大学にも入れたし、今があるのです。

  • 高校生時代
    高校生時代

- Komajoで良かったと思うこと、駒女だからこそ学べたことを教えてください。

心の教育である仏教があったことです。
勉強嫌いな私でも仏教の教えはなんだか興味深くて、仏教の授業は好きでした。
12月の摂心会は3年間皆勤しました。坐禅をすると、心が洗われて疲れが取れるようになるし、今でも、お墓参りにお寺に行くと、「坐禅会」というチラシに足を止めてしまいます。
修学旅行で永平寺にて修行できたこともよかったです。普通の高校生では、なかなか経験できないことですからね。
患者さんの娘さんが進路で悩んでいたら、自分の高校生活を少し誇らしく話します。仏教のこと、学校生活のこと、部活、駒女で学べたことすべてです。

平成17年度卒 エヴァンズ 麻衣(旧姓:鈴木)さん

進学先:獨協大学外国語学部ドイツ語学科
就職先:モルディブ・トラベル・ファクトリー →(転職)行政書士

- 今、どのようなお仕事をされていますか。

現在は行政書士として日本在住の外国人の方々のビザ関係の手続きをしています。

行政書士になった理由は、近年日本に住む外国人は年々増えており、自身の語学力を生かして在日外国人の方々の手助けをしたいと思ったからです。ビザは外国人にとって命です! 自身の仕事の技量や判断によって依頼人の人生を左右しかねないというプレッシャーはありますが、ビザが無事に取れたときの依頼人の嬉しそうな顔を見られたときは、この仕事をやっていて良かったと心底思います。
私生活ではアメリカ人と国際結婚をしました。外国人が日本で暮らす上で言葉や文化の面等さまざまな点で苦労しているのを身近で見てきて、外国人の方々がより快適に日本で暮していけるよう総合的にサポートして行きたいと思います。

  • よきパートナーと
    よきパートナーと

- Komajoの思い出や、エピソードをお聞かせください。

硬式野球部に所属していたため、文字通り3年間野球漬けの毎日でした。高校3年生の春の全国大会で創部以来初めての全国優勝を成し遂げることができたのは一生の思い出です。当時の野球部は上下関係が厳しく、先輩方に怒られたりして泣いた日々もありました。真っ黒に日焼けし、髪の毛は短く、私服を着ているとよく男の子に間違われたこともありました。

部活の同期とは苦楽を共にし、卒業して15年経った今でも定期的に会う一生の仲間(もはや家族)となりました。

  • 苦楽を共にした硬式野球部仲間
    苦楽を共にした硬式野球部仲間

- Komajoで良かったと思うこと、駒女だからこそ学べたことを教えてください。

部活動に没頭できる充実した施設があり、勉強面においてそれぞれの生徒の進路に合わせたクラス分けがされており、生徒の個性や長所を伸ばそうとしてくれる先生方のご指導等、全てにおいて恵まれた3年間を過ごすことができました。

平成17年度卒 安諸彩さん

進学先:松蔭大学 異文化コミュニケーション学部
就職先:株式会社イービーエム(化粧品販売とエステを行う会社) →(転職)おわかれははじまり協会 代表理事

- 今、どのようなお仕事をされていますか。

おわかれははじまり協会 代表理事をしています。どんな仕事かというと、グリーフケアという死別の悲嘆(嘆き悲しむこと)を抱える人のカウンセリングと、グリーフを抱えた人が自分の経験を活かせるように講座を行っています。
協会の活動の一環として、「デスカフェ」という話す会を開催しています。これは、死別を経験している人たちが数名で集まり、今感じている気持ちを自由に話す会です。
私が27歳で夫を亡くしたときに、同じ思いをわかってもらえる場所がなく、誰にも話せず塞ぎ込んだ経験があります。その経験から「場所がないなら自分が作ろう」と思ったことがこの仕事を始めたきっかけです。
また、グリーフケアというものを知らない人たちが多いので、広げていくこと、死別の悲しみを1人で抱えている人たちに届くように活動しています。
今までの経験から、看取ることが後悔のないものになれば、複雑なグリーフを抱えることはないと思っています。ですので、これからは生きること、大切な人が亡くなったらどのような思いになるのかを、教育として広めていくことを目標としています。

  • デスカフェの様子
    デスカフェの様子
  • 講演風景
    講演風景

- Komajoの思い出や、エピソードをお聞かせください。

一番の思い出は、当時はあったソフトテニス部を中高6年間続けたことです。
朝練もありましたし、休みはお正月の数日しかなくハードでしたが、この経験から継続する力が付いていると思います。私はテニスが下手だったので、皆より多く練習したなという思い出があります。
しかし、上手くなる日は来ませんでした。それが悔しいことと思っていたのですが、チームとしては関東大会に出る成果を作りました。素直に喜べない自分を、酷い人間だなと思っていました。そんなときに、今は亡き松沢先生から「お前がいたことで関東大会に行けたんだ」と言ってもらい、私がこのチームに属していたことが承認されたことがとても嬉しかったです。自分の成果ではなく、チームとして成果を作っていくということの大切さを学びました。

  • 汗を流したテニス部時代
    汗を流したテニス部時代

稲津先生はいつもパワフルで明るく、いつも一人ひとりを気にかけてくれている先生でした。卒業して13年たった今でも連絡をして温かく迎えて下さいます。卒業後何年も経っているのに、私が死別をしたことをとても承認してくれ、力づけてくれる先生です。
今思えば、人に愛を持って接することは稲津先生から学んだと思います。
当時は思ってもいませんでしたが(笑)

- Komajoで良かったと思うこと、駒女だからこそ学べたことを教えてください。

2つあります。

まず、女子校であることは私の人生にとってはプラスになったと振り返ってみて思います。
大学では共学だったので、文化祭の準備などで重いものは男性が準備することがありました。6年間女子校だった私としては衝撃的でした。一般的には男性がやることが多いことも、駒女での体育祭や文化祭では団結して自分たちで行っていました。まずは頼らずになんでも自分でやろうと思えるようになったことはよかったことだと思います。

2つ目はなんといっても、永平寺に行ったことです。駒女ならではの経験ですね。自分の住んでいる世界が沢山あることを経験しました。