東京農業大学准教授
藤森さん

- 駒沢学園を受験することになったきっかけは何ですか?

叔母が本学の卒業生だったことや、当時の制服が魅力的だったことがあり、中高一貫で通うなら、駒沢学園がよいと思ったからです。実際、稲城キャンパスを訪れた時には、新設されたばかりの校舎や富士山が望める豊かな環境がとても気に入り、受験を決めました。

  • 東京農業大学准教授 藤森さん

- 在学中に強く印象にのこっているエピソードがあったら教えてください。

登下校中の電車内で、お体が不自由な方に、座席を譲っている生徒がいました。よく見ると、同じ制服を着ていたので、Komajo生だとわかりました。また、別の日には、妊婦さんに座席を譲っている生徒を見かけました。いずれも、優先席ではありません。私も、見習って、彼女らのようにあるべき行動をとるようになりました。しかし、私自身の記憶をたどっても、先生に「座席を譲るように」と指導されたことはなく、Komajo生であるという自負が、自然とそうさせたのだと思います。

- 中高時代にどんな能力や資質がついたと思われますか?

まず、私の在学当時から、情報処理の授業がありました。コンピュータ室には、一人一台PCが用意されており、かなり早い段階で、ブラインドタッチや操作方法を習得していました。また、ネイティブ教員による英会話の授業がありました。今や必須となっている、情報処理と英会話の両方を学ぶことができたことで、その後の人生が大きく飛躍するきっかけとなりました。あとは、やはり、仏教の授業で得た、自己との向き合い方と、学びへの探求心です。利他の心は私にとって、かけがえのない財産になりました。

- 青山学院大学進学・およびアメリカ留学をすることになったきっかけを教えてください。

当時、特進クラスに在籍しておりましたが、大学進学より就職を希望していたので、就職をしました。働いてみると、再び学びたい意欲が涌いてきたため、仕事と学業を両立できる環境を選びました。留学のきっかけは、在学中に経験したオーストラリアの高校訪問の際に、多様性を感じ取っていたからだと思います。英会話の授業を受けていたので、人や英語に対する苦手意識はほとんどありませんでした。

- 准教授になられた今、成し遂げたいことはありますか?

これまでも、好きなことをやり遂げる楽しさを感じて、研究を続けてきました。これからは、その楽しさを、国籍や職種、立場を超えて共有する機会をつくっていきたいと思っています。先日、国際シンポジウムの実行委員を務めた際に、前職でご一緒した研究員の方に、AIがdigitalizationに及ぼす影響について講演いただきました。世界中から参加したさまざまな職種の方々と、一つのテーマについて議論し、その楽しさを共有したことで、生まれた「和」は尊いものですね。いつもワクワクしています。

- 中高受験生および保護者の方へメッセージ・アドバイスをお願いします。

中高6年間は、その後の人生を構築するための基盤になるかと思います。卒業後、成人して親御さんの手を離れると、想像もつかないような苦難にも立ち向かうことになろうかと思います。そんな時に、本学で得た「生き抜く力」を最大限に発揮し、どうか「未来を切り拓いて」いってください。それでも、社会人になった自分の能力に限界を感じた時、きっとあなたをあたたかく迎え入れてくれるのがKomajoです。卒業生の私がそうであったように、未来のKomajo生を育て、社会へ送り出し、卒業したKomajo生を見守ってくれています。それは、伝統と実績に裏付けられた女子教育にあるのではないかと思います。仮に、「もう一度、中高受験をするならどこ?」と尋ねられたら、「Komajoです」と答えます。不思議ですね。

藤森さんのキャリア
1997年度卒(平成10年3月卒)駒沢学園女子高等学校を卒業。就職、勤務と平行して青山学院大学経済学部第二部経済学科へ社会人入学。→ 同大学を卒業後、アメリカ留学を経て、同大学院へ進学。→ 同大学院修了後、教員や政府のシンクタンクで研究員を務め、東京農業大学教員に就任。
取得学位/博士(経済学)慶應義塾大学

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国際教養大学国際教養学部グローバルビジネス課程4年生
川手さん

- 自己紹介してください。

あまりご存じでないかもしれませんが、秋田県にあります、公立大学の国際教養大学 国際教養学部 グローバル・ビジネス課程4年生に在籍しています。大学内の授業はすべて英語で行われていて、1年間の海外留学が条件となっている英語教育に力を入れている大学です。
私は駒沢学園女子中学校高等学校で、勉強・合唱部でのクラブ活動・たくさんの行事など、6年間を過ごしてきました。4月からは音楽系のメーカーに就職が決まっています。

  • ロシア留学中、リトアニアの日本料理店で
    ロシア留学中、
    リトアニアの日本料理店で

- 本校への受験のきっかけは何ですか?

私の姉がここの高校に通っていて、すごく楽しそうだったことが最初のきっかけです。姉が中学生だったころ、あまり学校の話をしなかったのですが、高校になったら、学校の様子をとても楽しそうに話してくれて、この学校に興味を持ちました。
その後、オープンキャンパスや学園祭に参加した時に、その様子がとても活気があり、在校生の方々や先生方が明るく優しくて、ここなら平和な学園生活が送れそうだと思い、受験を決めました。

- 中高6年間で印象に残っていることを教えてください。

大きく分けて2つあります。まず、1つ目はたくさんのイベント(行事)です。特に中学校では百人一首大会、合唱コンクール、沖縄への修学旅行です。百人一首大会・合唱コンクールでは一生懸命練習して、頑張ったことを覚えています。高校では永平寺参拝研修、オーストラリア修学旅行ですね。永平寺では普通の旅行では体験できない、この学校だからこその貴重な経験ができたと思っています。
2つ目は中学3年生の最後に学校から援助を受けて(派遣留学制度)2週間カナダへホームステイができたことです。この留学は、世界や海外のことをもっと知りたいと思うきっかけになりました。
ホームステイ先のホストマザーに言われたことを今も覚えています。ご飯の時に食事が美味しいかを聞かれて、「美味しい」と答えると「美味しいと思うなら笑顔!」と言われました。私は、気持ちを表現する、伝える努力をしていなかったことに気づきました。また、だいぶたってからホストマザーの職業を知らなくて、その話を伝えると「だって聞かれてなかったもの」と言われ、そこでまた、私はホストマザーに対して関心を持ち、質問をする意欲に欠けていた、周りの人に壁を作っていることに気づきました。自分の意識が変わった経験だったと思います。

- 中高6年間の学習で伸びたところはどんなところだと思いますか?

まずは、勉強する習慣と計画性が身についたと思います。小テスト(国語・英語・数学)が毎週あって、基礎をコツコツ積み重ねていくことができました。また、テストの時も2週間前から計画をたてて勉強をする習慣がつき、力が定着していったと思います。
特に国語と数学の力がついたと思っています。先生方の説明がわかりやすく、教え方が上手だと感じています。暗記するものは授業中に、みんなで一緒に声を出して覚えました。それが役に立って、古文漢文は大学入試での得点源になりました。数学ではわかるまで説明してもらい、置いていかれることがありませんでした。

- 大学までの進路

国際教養大を選んだ理由は、英語をもっと伸ばしていきたい、カナダへの派遣留学でもっと話せるようになりたいと思ったのも、大きいと思います。
私は、そのころ学びたいことが決まっていなかったため、国際教養学部のいろいろな分野を幅広く学べるところがいいと思い、この大学を第1志望にして受験勉強をしました。

- 1年間のロシア留学について

ロシアは、英語を話せる人がほとんどいなく、ロシア語しか通じない場所でした。大学でロシア語の授業はとったものの生活するには足りない状況で、留学生活が始まりました。
シベリア鉄道で旅行をした際に、相席したおばあちゃんや大工さんのグループと仲良くなれたのは、片言のロシア語、身振り手振り、スマートフォンの翻訳機能、そして笑顔のおかげでした。改めて、コミュニケーションとは、親しくなろうとする気持ちなのだと感じました。

- どんな社会人になっていきたいですか?

自分だけの強みがあって、周りの人から必要とされる人になりたいです。例えば、英語を話すことができる人はたくさんいると思いますが、英語とロシア語を話せる人は少ないと思います。私には「これだけは誰にも負けない」といえるものがありません。でも、英語とロシア語という語学だけではなく、心理学や経済学、行動経済学やファイナンス、歌やピアノなど全部習得している人はあまりいないと思います。いろいろな自分が持っている知識や経験を組み合わせて、自分だけの強みがある、そんな人になりたいと思っています。

- 受験生のみなさんにメッセージをお願いします。

Komajoは、のびのびと、自分のペースで過ごせる環境があると思います。そして学習や様々な活動を通して、いろいろな力を伸ばすサポートをしてくれる場所です。そんな環境の中で、自分の好きなことを見つけ、生きる力に変えていってください。


平成17年度卒
栗原さん

進学先:帝京平成大学
就職先:法務省→(転職)にこにこ鍼灸整骨院 開院

- 今までどのようなお仕事をなさっていましたか、また今はどのようなお仕事をされていますか。

高校生の頃から体育教師を目指していました。母校での教育実習では中村友恵先生と一緒でした。大学卒業後は教育関係の仕事に就きたいと思い、教員採用試験や公務員の試験を受け、合格したのが国家公務員の試験です。
国家公務員として、法務省の施設である刑務所で矯正・教育の仕事に就きました。国家公務員なので職種にもよりますが、全国転勤となります。私は山口県で働くことを命じられ、働いていました。やりがいのある仕事、責任感のある仕事で国家公務員としての給与や待遇(福利厚生など)も納得できるものでした。

  • 国家公務員時代
    国家公務員時代

しかし、本当にやりたいことなのか?と思うようになったことから、人に「ありがとう」と感謝される仕事がしたいと思い、国家公務員の仕事を辞めて今の仕事に飛び込みました。
25歳で専門学校に入学し、3年間夜間部に通いながら日中は整骨院での仕事をしていました。28歳で専門学校を卒業し、柔道整復師の資格を取得しました。同時に整骨院で院長を任されるようになり、今働いている整骨院は31歳の時に開業しました。
新しく事業を始めることはすごく大変でした。治療の仕事以外に経営者としての仕事も山積みです。毎日患者さんに「ありがとう」といっていただけるように日々、努力をしています。

  • にこにこ鍼灸整骨院を開院
    にこにこ鍼灸整骨院を開院

- Komajoの思い出や、エピソードをお聞かせください。

正直、高校時代は勉強が全然できなくて、勉強をしたいと思ったことも、ほとんどありませんでした。
硬式野球部だったのですが、文武両道と毎日言われていたのに赤点ばかりとって肩身が狭かったです(笑)
勉強スイッチが入らない私でしたが、それでも当時の担任だった稲津惠子先生の熱血な指導のおかげで、どうにか卒業できたのだと思います。卒業式の日に担任の先生に「成長した!」と言われたのを今でも記憶しています。
そんな私は、今では患者さんを治すために進んで勉強します。それもきっと担任の先生が成長させてくれたからでしょう。だから大学にも入れたし、今があるのです。

  • 高校生時代
    高校生時代

- Komajoで良かったと思うこと、駒女だからこそ学べたことを教えてください。

心の教育である仏教があったことです。
勉強嫌いな私でも仏教の教えはなんだか興味深くて、仏教の授業は好きでした。
12月の摂心会は3年間皆勤しました。坐禅をすると、心が洗われて疲れが取れるようになるし、今でも、お墓参りにお寺に行くと、「坐禅会」というチラシに足を止めてしまいます。
修学旅行で永平寺にて修行できたこともよかったです。普通の高校生では、なかなか経験できないことですからね。
患者さんの娘さんが進路で悩んでいたら、自分の高校生活を少し誇らしく話します。仏教のこと、学校生活のこと、部活、駒女で学べたことすべてです。


平成17年度卒
エヴァンズ(旧姓:鈴木)さん

進学先:獨協大学外国語学部ドイツ語学科
就職先:モルディブ・トラベル・ファクトリー →(転職)行政書士

- 今、どのようなお仕事をされていますか。

現在は行政書士として日本在住の外国人の方々のビザ関係の手続きをしています。

行政書士になった理由は、近年日本に住む外国人は年々増えており、自身の語学力を生かして在日外国人の方々の手助けをしたいと思ったからです。ビザは外国人にとって命です! 自身の仕事の技量や判断によって依頼人の人生を左右しかねないというプレッシャーはありますが、ビザが無事に取れたときの依頼人の嬉しそうな顔を見られたときは、この仕事をやっていて良かったと心底思います。
私生活ではアメリカ人と国際結婚をしました。外国人が日本で暮らす上で言葉や文化の面等さまざまな点で苦労しているのを身近で見てきて、外国人の方々がより快適に日本で暮していけるよう総合的にサポートして行きたいと思います。

  • よきパートナーと
    よきパートナーと

- Komajoの思い出や、エピソードをお聞かせください。

硬式野球部に所属していたため、文字通り3年間野球漬けの毎日でした。高校3年生の春の全国大会で創部以来初めての全国優勝を成し遂げることができたのは一生の思い出です。当時の野球部は上下関係が厳しく、先輩方に怒られたりして泣いた日々もありました。真っ黒に日焼けし、髪の毛は短く、私服を着ているとよく男の子に間違われたこともありました。

部活の同期とは苦楽を共にし、卒業して15年経った今でも定期的に会う一生の仲間(もはや家族)となりました。

  • 苦楽を共にした硬式野球部仲間
    苦楽を共にした硬式野球部仲間

- Komajoで良かったと思うこと、駒女だからこそ学べたことを教えてください。

部活動に没頭できる充実した施設があり、勉強面においてそれぞれの生徒の進路に合わせたクラス分けがされており、生徒の個性や長所を伸ばそうとしてくれる先生方のご指導等、全てにおいて恵まれた3年間を過ごすことができました。


平成17年度卒
安諸さん

進学先:松蔭大学 異文化コミュニケーション学部
就職先:株式会社イービーエム(化粧品販売とエステを行う会社) →(転職)おわかれははじまり協会 代表理事

- 今、どのようなお仕事をされていますか。

おわかれははじまり協会 代表理事をしています。どんな仕事かというと、グリーフケアという死別の悲嘆(嘆き悲しむこと)を抱える人のカウンセリングと、グリーフを抱えた人が自分の経験を活かせるように講座を行っています。
協会の活動の一環として、「デスカフェ」という話す会を開催しています。これは、死別を経験している人たちが数名で集まり、今感じている気持ちを自由に話す会です。

  • デスカフェの様子
    デスカフェの様子

私が27歳で夫を亡くしたときに、同じ思いをわかってもらえる場所がなく、誰にも話せず塞ぎ込んだ経験があります。その経験から「場所がないなら自分が作ろう」と思ったことがこの仕事を始めたきっかけです。
また、グリーフケアというものを知らない人たちが多いので、広げていくこと、死別の悲しみを1人で抱えている人たちに届くように活動しています。
今までの経験から、看取ることが後悔のないものになれば、複雑なグリーフを抱えることはないと思っています。ですので、これからは生きること、大切な人が亡くなったらどのような思いになるのかを、教育として広めていくことを目標としています。

  • 講演風景
    講演風景

- Komajoの思い出や、エピソードをお聞かせください。

一番の思い出は、当時はあったソフトテニス部を中高6年間続けたことです。
朝練もありましたし、休みはお正月の数日しかなくハードでしたが、この経験から継続する力が付いていると思います。私はテニスが下手だったので、皆より多く練習したなという思い出があります。
しかし、上手くなる日は来ませんでした。それが悔しいことと思っていたのですが、チームとしては関東大会に出る成果を作りました。素直に喜べない自分を、酷い人間だなと思っていました。そんなときに、今は亡き松沢先生から「お前がいたことで関東大会に行けたんだ」と言ってもらい、私がこのチームに属していたことが承認されたことがとても嬉しかったです。自分の成果ではなく、チームとして成果を作っていくということの大切さを学びました。

  • 汗を流したテニス部時代
    汗を流したテニス部時代

稲津先生はいつもパワフルで明るく、いつも一人ひとりを気にかけてくれている先生でした。卒業して13年たった今でも連絡をして温かく迎えて下さいます。卒業後何年も経っているのに、私が死別をしたことをとても承認してくれ、力づけてくれる先生です。
今思えば、人に愛を持って接することは稲津先生から学んだと思います。
当時は思ってもいませんでしたが(笑)

- Komajoで良かったと思うこと、駒女だからこそ学べたことを教えてください。

二つあります。

まず、女子校であることは私の人生にとってはプラスになったと振り返ってみて思います。
大学では共学だったので、文化祭の準備などで重いものは男性が準備することがありました。6年間女子校だった私としては衝撃的でした。一般的には男性がやることが多いことも、駒女での体育祭や文化祭では団結して自分たちで行っていました。まずは頼らずになんでも自分でやろうと思えるようになったことはよかったことだと思います。

二つ目はなんといっても、永平寺に行ったことです。駒女ならではの経験ですね。自分の住んでいる世界が沢山あることを経験しました。


平成17年度卒
中村さん

進学先:駒澤大学仏教学部
就職先:明治安田生命 →(転職)駒沢学園女子中学・高等学校 教諭

- 今、どのようなお仕事をされていますか。

駒沢学園女子中学・高等学校にて、「仏教」の教員として働いています。
二人の子どもを育てる母として、時短勤務をさせていただきながら、仕事に子育てに、日々学びの日々です。
私がまさか、母校に帰ってくるとは……! という感じで、不思議な縁に手繰り寄せられた、そんな感じがしています。

  • 明治安田生命 法人営業時代
    明治安田生命 法人営業時代

駒女で「仏教」に出会い、面白さや深遠さに目覚め、これを生涯自分のよりどころにしていこうと決めた日々から早何年……。学べば学ぶほど、奥が深い「仏教」にワクワクと、発見の日々で、生き方に直結する仏教のすばらしさを多くの人に伝えていきたいと思っています。この仕事ができて心から「ありがたいな」と感じています。

  • 現在:授業風景
    現在:授業風景

- Komajoの思い出や、エピソードをお聞かせください。

それはいろいろあります。いくつかご紹介します。

  • 「いまを生きる」
    私は駒沢学園が仏教の学校とは露知らず、正門をくぐりました。仏教を「抹香臭い」としか思っていませんでした。
    それが覆されたのが今でも忘れもしない、仏教の最初の授業でした……。
    先生はお釈迦様の教えとはこういうものだよ、と優しく教えてくれました。それが「過去は過ぎ去ったから思い煩うな。未来は未だ来ていないから心配するな。大切なのは今、この瞬間を生きることだ」という言葉です。
    当時の私は未来に対して、不安がいっぱいでした。そして過去は悔いてばかりで自分に自信が持てない。そんな私を丸々受け入れてくれる、まさに私にとっては救いの言葉でした。
    世界でたった一人でも、このような素晴らしいことを言っている人がいるのなら、とりあえず信じてみよう、そう誓った高校一年生の春でした。
  • 「今は校長先生である土屋先生の贈る言葉」
    今の校長先生が、なんと三年間担任の先生でした(笑)
    一般受験をする生徒が多くいたクラスで、受験も終わりに差し掛かり、確か卒業直前にはなされたと記憶しています。
    一般受験がうまくいかず、浪人するクラスメイトもいた中で、土屋先生がおっしゃった言葉は心に残っています。
    『受験にそれがうまくいかなかった人もいます。でも、自分がこれだけがんばった、その「努力」は決して無駄にはなりません。この努力した日々が、これからのみんなの人生を豊かなものにしてくれます。』というお話でした。
    同級生で、落胆している子もいる中、このような温かい言葉は胸に響きましたね。

- Komajoで良かったと思うこと、駒女だからこそ学べたことを教えてください。

二つあります。
一つ目、それは「仏教」に出会えたことです。
駒沢学園でなかったら、仏教を学んでいなかったかもしれない。そう考えると、駒沢に入学することで、自分の人生が善き方に変わりました。
これが何より良かったことです。仏教では、人間が生きているうちに恩恵が知らず知らずにある、という「四恩」といいます。父母の恩、衆生の恩(ありとあらゆる命のおかげで生かされていること)、三宝の恩(釈尊・釈尊の教え、釈尊の教え実践する人々)、国の恩です。このうち、駒沢学園には「三宝の恩」を感じています。
友人の大切さや、いのちを頂いて生かされていること、自分より先に人を救いたいという教えや、「利他」の心、人間だけでなく、死んだ者も弱いものも動物も昆虫も、生きとし生けるもののいのちを慈しむ精神など、大切なことをたくさん学ぶことができました。

二つ目は、特進クラスで志を同じくする仲間に会え、異性の目を気にすることなく勉学に励めたことです。そして副担任制で、頼りになる担任のもと、クラスが一つにまとまり、切磋琢磨できたことです。仏教の学校だからか、みな思いやりのある、優しく、いろいろな人を認め合う、そんな校風があり、その土壌が自分にぴったり合いました。友人に先生に、豊かな自然環境に恵まれ、充実した三年間を送ることができました。
こんなすばらしい学校に出会えて幸せに思います。

  • オーストラリア修学旅行(向かって一番左端)
    オーストラリア修学旅行
    (向かって一番左端)