宗教の授業で「坐禅」をしました。

宗教(仏教)の授業で、坐禅をしました。坐禅は各学期に1回か2回程度ですが、毎朝「正念」といって椅子に姿勢をまっすぐにして、目を閉じて静かに自分自身と向き合う時間があります。

道元禅師は、『正法眼蔵』空華巻にて以下のように示されています。
一念不生全体現《一念不生にして全体現ず》
念々一々なり。これはかならず不生なり、これ全体全現なり。
このゆゑに一念不生と道取す。

(解釈)
今この瞬間は何ものにもとらわれない自由な精神であり、その瞬間は永遠に通じていている。
今この瞬間、これは生死を超えている。これはいのち全体、この身体・精神を通して悟りの世界(聖)が現れている。したがって一瞬一瞬がすなわち永遠のいのちの現れと言える。(今が大切)

坐禅を体験した生徒はどのように感じているか、生徒の感想を紹介します。

  • 少し「ワーワー」しました。だんだん「キュ」が「ふわふわ、ホワーン」って感じになりました。悩みっぽいものも考えずに時間を過ごせました。
  • 姿勢よくできたり、心が落ち着いたりした。普段授業で座っていて、姿勢が悪くなりがちなので整えられてよかった。
  • 雑音が少しずつ静かになっていく感じがして、リセットされた気分。
  • 坐禅中に風の心地よさを感じたり、鳥の鳴き声が聞こえてきたりするとすごく落ち着いた気持ちになった。
  • 呼吸に集中することで自分の中にある焦りや不安に気づくことができた。
    ただ呼吸をしていたようだったけど、坐禅が終わった時に少し気持ちが楽になったような感じがした。今まで気づかないふりをしていた自分の気持ちに気づき、自分を見つめ直すことができた。
  • 最初の頃は足が痛くて時間が長く感じたけれど、最近は呼吸に集中するのが少しずつ楽しくなってきた気がした。
  • 静かな空間で自分と向き合うことで、日常のストレスや考え事から解放される感覚が心地よいです。続けることで、心の安定や集中力の向上を実感できるようになり、これからも続けていきたい。
  • 雑念が浮かんでも「まあいっか」と流せるようになって、自分の中の余裕も増えた気がする。
  • 坐禅は無意味な行動ではなく、己を正し冷静にさせてくれる意味ある行動だと今は感じる。
  • 普段どれだけ自分の体や心に無意識でいるかに気づいた。慌ただしい日常の中でも立ち止まる時間の大切さを思い出せたように思った。
  • 自分自身のメリハリもつき、心も変わったように感じる。

毎日、目の前のやらなければいけないことに追われてストレスを感じ、悩み苦しみの多い日々を必死に生きているのではないでしょうか。

一旦思いを手放し、本来の自分を見出す坐禅は現代においては一層重要さを増します。

多感な中高生という発達過程の生徒にとって、坐禅(正念)は、貴重な体験となっているようです。

  • 坐禅の前にお話しを聞きます。
    坐禅の前にお話しを聞きます。
  • 合掌一礼して入ります。
    合掌一礼して入ります。
  • 挨拶をして始めます。
    挨拶をして始めます。
  • 只管打坐(ただひたすら座る)①
    只管打坐(ただひたすら座る)①
  • 只管打坐(ただひたすら座る)②
    只管打坐(ただひたすら座る)②

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