「クリスマス、バレンタイン、ハロウィン、そしてイースター?」/富田 隆(心理学)

この春、イースターの季節に、「なぜ卵なの?」とか「ウサギとイースターの関係は?」といった質問を受けたことはないですか。私は教師という仕事柄、この数年、訊かれることが多くなりました。

といっても、今回は、卵やウサギとイースターの関係について論じることが目的ではありません。イースターという言葉を多くの日本人が使うようになり、街のショーウインドウに色とりどりのイースターエッグが並び、可愛いウサギのイラストなどを見かけるようになった、そんな変化について考えたいのです。いつの間にか、キリスト教文化圏の「復活祭」という宗教行事が、この日本でも認知度を増しているのです。

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考えてみれば、クリスマスもそうでした。バレンタインデーも同様です。ハロウィンにいたっては、様々な扮装をこらした若者たちが東京や大阪などの盛り場を埋め尽くしました。この他に類を見ない巨大なお祭り騒ぎの報道が世界中に配信され、驚きをもって迎えられました。

このままいけば、イースターのお祭りもまた、日本の春の風物詩になるのかもしれません。そして、こうした傾向を嘆く人たちは世界中に、そして日本人自身の中にも少なくありません。

クリスマスやハロウィンの大騒ぎへの批判はいろいろありますが、大別すると、①宗教的儀式を商業主義的に利用することへの批判、と②日本人が宗教的にいい加減(無節操)であることへの批判、に分けることができます。

ここでは、②について考えてみたいのです。まあ、①については、日本に限らず、アメリカでもヨーロッパでも見られる現象ですし、いくら商業的なキャンペーンを大々的に繰り広げても、大衆の側がこれに迎合しなければ、「笛吹けど踊らず」の状態になるからです。むしろ、私たちがかくも積極的に「踊る」理由が重要ではないでしょうか。

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私たち日本人は、本当に「宗教的にいい加減」な人たちなのでしょうか。もちろん、私は違うと思います。

「宗教」という言葉を辞書で引いてみると、「神または何らかの超越的絶対者、或いは卑俗なものから分離され、禁忌された神聖なものに関する信仰・行事またはそれらの連関的体系」(『広辞苑』)とあります。この定義から言えば、日本人は大変真面目で敬虔な「伝統的宗教者」であると思います。

確かに、一神教を信仰する異文化の人たちから見れば、自分たちの神聖な宗教的儀式を、「異教徒」である日本人が、その意味も知らぬまま、無邪気に模倣してお祭り騒ぎをしている姿は、滑稽を通り越し、まさに無神経・無節操ということになるのでしょう。しかし、それは誤解です。

八百万の神々というように、私たち日本人は縄文以来、「多神教」的な世界観・宗教観を守りながら、この狭い国土で共生してきました。

皆さんがお住まいの場所の半径1キロに、いくつのお寺があるでしょう。どれだけの神社や祠があるでしょう。京都や鎌倉ではなくとも、地図で調べると、思ったよりたくさんの「宗教施設」があることに気づきます。そして、同じマンションの住人には、曹洞宗の人もいれば日蓮宗の人もいる、カトリックの人もいればプロテスタントの人もいる。たまにはイスラム教徒もいたりします。

様々な信仰が入り乱れる多神教的「ごった煮」の中で平和を保とうとすれば「寛容」にならざるを得ません。いや、それ以前に、多神教的信仰においては、当初から、いく柱もの異なる神様への信仰が並列的に共存していたのです。だから今日でも、八坂神社で拍手を打った後、清水寺で線香をあげたからといって、何の不都合も感じないわけです。

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多神教的な寛容の伝統に加え、極東に位置する日本列島の文化は、梅棹忠夫先生がかつて指摘したように「ターミナル文化」であり、海外からの文化を次々に受け入れては消化し、自らの生活や文化を重層的に成長させてきたわけです。宗教も例外ではありません。仏教が伝来した頃の興奮は、クリスマスやハロウィンの騒ぎに似たようなものだったかもしれません。「海の向こうから、新しい神様がやってきた」。好奇心にあふれ、新しい物好きな日本人は大いに熱狂したのでしょう。

現代の私たちにとっては、ハロウィンもまた、ちょっとおしゃれな洋風の「妖怪祭り」なのです。

私たち日本人は他者の信仰に対して「寛容」です。しかも外来の新しいものに目がありません。もちろん一方では「私は○○教の信者です」と胸を張る人も少なくありません。神々を並列化する「相対的」な信仰から、特定の神や仏に対する「絶対的な」帰依に至る真面目な人々もいるのです。しかし、そうした人々であっても、自分以外の人々が信ずる神々や仏に対して寛容なのです。

この日本的な寛容さはしばしば無節操さやいい加減さと誤解されます。この誤解を晴らすためには、もっと説明をする必要があるとは思いませんか。

多神教的な八百万の神々を尊ぶ伝統、ターミナル文化に特有な進取の精神。こうしたものは、自分自身のことを「無宗教ですから」と言い放つ若者の深層心理にも脈々と生き続けています。いわゆるジャパニメーションを見れば、その事実に気づくはずですが、長くなったので、この続きは、またの機会にね。

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