建学の精神と教育の理念

建学の精神

駒沢女子大学は、道元禅師の「正念」と「行学一如」という禅の精神を基盤として「国際化・情報化の進展、女性の社会参加の拡大など、急速な社会構造の変化にのぞみ、十分に自己を実現し、新しい文化の創造的担い手となる人間性ゆたかな現代女性を養成すること」(学則第1条)を教育の目的としています。

「正念」

「正念」というのは道元禅師の只管打坐の教えを教育の根本として示したもので、坐禅によって正しく物事をみつめ、とらえていくことです。私たちは「私」という心の窓から見える限定的な世界をみつめています。自分に関心のない事柄については、たとえ目の前にあっても気づかないことがあるように、いわば自分中心の限定的な心の鏡をもっているといえるのです。坐禅はそのような偏り・こだわりのある心を一旦御破算にして、正しくものごとを見つめていく営みです。そして本当の自己(本来の面目)を再発見していくのです。

道元禅師に「本来の面目」というタイトルの歌があります。すなわち「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」という歌です。この歌は川端康成がノーベル文学賞受賞の際、ストックホルムで行った「美しい日本の私」という講演で引用されよく知られるようになりました。内容は四季折々の日本の自然を歌い上げていますが、実はこれは単なる風景描写ではありません。この歌は「本来の面目」つまり本当の自己からありのままにみつめた心象風景といえるのであり、そこに大切な意味があることを川端も指摘しています。

「行学一如」

「行学一如」というのは、実践すること(行)と学ぶこと(学)とを一体化させていくこと(一如)です。つまり「正念」によって確立された自己において、大学で学んだ多くの知識や技術を日常の実生活や社会に活かしていくことです。大学での学びは単に知的欲求を満たすだけのためにあるのではありません。自己満足的に知識・教養を高めるのではなく、広く社会に反映させていくことが大切なのです。

道元禅師は『典座教訓』で典座という禅寺の台所で炊事を司る僧を取り上げ、炊事にも修行の大切な意味を見出しています。そして坐禅とともに日々の一つ一つの行いもないがしろにせず、それぞれの意味を見出し、精一杯努め、活かすことを強調しています。
このように本学では心を整え、自己を確立していく「正念」と実践的な学びを説く「行学一如」が教育の根本にあります。

教育の理念

「知性と理性を備えた心豊かな女性の育成」を教育理念としています。ここでいう知性とは、教養を意味し、理性とは、実践力を伴った判断力を意味します。本学では、このような教養と実践的判断力を身につけ、豊かな心を持った女性となるよう教育することを理念としています。学生一人ひとりの適性を考え、その能力を伸ばす教育活動を行います。

教育の「理念」と「実践」

駒沢女子大学・駒沢女子短期大学における教育活動は、「理念」と「実践」の両面から成り立っています。前者を教育の柱として掲げ、後者をもってそれを実体化させていこうという仕組みです。

理念的側面は、建学の精神、教育の理念、教育のモットー、そして各学部・各学科・科のディプロマポリシー(学位授与の方針)・カリキュラムポリシー(教育課程編成・実施の方針)・アドミッションポリシー(入学者受入れの方針)が続きます。

これに対して、理念を具現する実践的な側面においては、教員の「教育力」を何よりもたいせつに考えています。そして、ディプロマポリシーとカリキュラムポリシーを検証可能な形にするために、「ミッション(使命)」と「アウトカム(成果)」を可視化し、さらにそれの実現へ向けて、全教職員が学生一人ひとりと向き合い面倒を見る「テーラーメイド教育」を、総力をあげて行っていきます。

このような実践的側面における強力な支えがあって初めて、社会で通用する人間性が育まれるものと信じています。

理念的側面

  • 理念的側面

①正念・行学一如
②知性と理性を備えた心豊かな女性
③面倒見ある教育を基礎にテーラーメイド教育へ
④⑤⑥に関しては、
各学部、各学科、科において、その特性に応じ、 具体的な方針を定めています。

実践的側面

  • 実践的側面

教育力とは......
各教員が、教育内容の質を落とさず、授業法などの工夫で、わかりやすい教育を行います。
ミッションとは......
大学教育を通して学生に何を身につけてもらいたいか、また、実際に何を身につけることができるのかなどを教員の使命として具体的に明示し、それが実際に達成されたかを検証します。
テーラーメイド教育とは......
学生情報の一元化とその教育的利用により、各学生に適した教育の提供という、総合的学習支援を行います。