石川 創(イシカワ ソウ)

専門分野

日本語学(文法・現代語・近代語)

担当授業

所属学会

私の研究紹介

私は大学3年生まで、日本語学に大きな興味を持っていたわけではありませんでした。しかしある日、ふと、「まあ、きれい」と感激したときに言うけれど、「まあ、大したことじゃないよ」と自慢げに言うこともあるということに思い至り、「まあ」とは一体何なのだろうか、ということが気になって仕方がなくなってしまいました。それから20年経ち、今でも私は「まあ」「そう」「ああ」などといった感動詞のことを考え続けています。

語そのものには具体的な意味はないのに、感動詞がなければ会話は成立しません。また、具体的な意味がないからこそ、その用法は多岐にわたり、そして移ろいやすいようです。近年は、2010年代なかば以降に「そうですか」にかわり猛烈な勢いで使われ始めた「そうなんですね」というあいづちの意図について考えたり、特に江戸時代後期以降、感動詞をどのように書き写したりしてきたかという、表記の移り変わりについて調査したりしています。

私の授業紹介

「日本の文化の特徴を発見・発信するために必要な力」を身につけるために、私は自分の専門に基づき、「ことばの記録」を丹念にひもとくということを軸に授業を組み立てることを意識しています。

「日本語学I」の中心となるテーマは口語文法(現代のことばのしくみ)です。「いまのことば」というと、「最近のことばの乱れが嘆かわしい」「正しい日本語を守ろう」といった観点からの意見をいただくことが多くあります。ただ、たとえば「ら抜き」についていえば、戦前の国語辞書には「これる(来れる)」を見出しに立てるものもありますし、昭和30年代の文法研究には、「見れる、来れる」などを、「飲める、読める」などと同列の可能動詞として認めるものもあります(もちろん、戦前から「起きれない、来れる」などに対して苦言を呈す人もいます)。「現代」の中でも、人々の日本語、ひいては日本文化に対する意識には、少なからぬ変容があるようです。

この授業にかぎらず、日本人と外国人が、どのように日本文化に向き合ってきたのかということを、私はことばの側面からみなさんと考えます。

受験生・在学生へのメッセージ

大学での学びは、「私は~だと思う」ことの一歩先にあります。資料を丁寧に調査し、実際の用例を集め、自分の考えが正しかった、あるいは間違っていたということを、根拠を持って論じられるようになりましょう。みなさんの研究活動を、教員は全力でサポートします。

私の研究と授業 リンク