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なるほど!?日本文化

「お」のお話

「お」のつく言葉

 「社長がお話しになる」 「みなさまをご案内します」などのように、他の人物を立てる尊敬語や謙譲語では、「お」や「ご」を用いることが多くあります。しかし「私のお金、知り合いのお店、ごはんを食べる」などのように、他の人物を立てない場合でも「お」や「ご」を用いることがあり、こうした表現は美化語と呼ばれます。美化語は文字通りものごとを美化する(きれいに言う)ために「お」や「ご」をつけるものです。ここでは、「お」のつくことばについて考えてみましょう。

 私たちは「お金」や「お店」をはじめとして、身のまわりの多くのものに「お」をつけて美化語にしています。しかし、中には「お」をつけると意味が変わってしまうものがあります。「おにぎり」から「お」を取った「にぎり」は “にぎり寿司” のことを指し、「(ごはんの)おかわり」も「かわり」というと、やはり別の意味になってしまいます。「お」のつくことばのすべてが、元の語の美化語とはいえないわけです。

 また、「お」のつくことばの中には、「お」を取ると意味が通らなくなってしまうものもあります。たとえば「おこわ」から「お」を取った「こわ」という食べ物は存在しません。
 「おこわ」のルーツは、室町時代のころ天皇や上皇の御所に仕えた女房たちの間で流行した女房詞(にょうぼうことば)にあります。女房詞の構造にはいくつかのパターンが見られ、そのひとつに「お~」のかたちがありました。「おこわ」は「強飯(こわめし)」から「こわ」の音をとり、それに「お」を添えたものです。このほかにも、「おでん」(「田楽」から)、「おひや」(動詞の「ひやす」から)、「おかず」(「 “数々” とりそろえる」ことから)など、さまざまな「お」のつくことばが生まれました。
 これらの女房詞は、女房たちの間からしだいに町人の女性にも広まるようになり、いまでは男女の区別なく用いられています。

 同じ「お」のつくことばにも、さまざまな成り立ちがあります。「お」の「お話」を「お送り」しました。

(石川 創)
2011年11月14日

 

若者ことば ── 世代を超えた造語法

若者言葉

 近年の若者ことばのひとつに「写メる(しゃめる)」という語があります。携帯電話で撮った写真をメールで送ることを指すことばで、「写メール」という名称を「写メ」と省略し、さらに「る」をつけて動詞化したものです。同様の造語に、「ググる」(インターネットの検索エンジン「Google」を使って情報を検索すること)などがあります。
 「写メる」「ググる」は、いずれも「る」の前が「シャ・メ」「グ・グ」と2拍になっています。過去の若者ことばの動詞を見ると、「スタバる」(スターバックスに行く)のように「る」の前が3拍になるものも一部にありますが、多くが「事故る、拒否る、メモる、ハモる……」などのように「2拍+る」の構造になっています。

 若者ことばは、現代だけのものではありません。明治・大正期にも、学生たちが多くの新語を作りました。当時の新語を収集・解説した上田景二編『模範新語通語大辞典』(松本商会,1919)を引くと、「グチル(愚痴る)、ダベル(駄弁る)」など、「2(~3)拍+る」の語をいくつも見つけることができます。
 そのひとつに、「コンパル」という語がありました。“あみだくじを引いて、各自がお金を出して食事をする”という意味の学生語であるとの解説がなされています。現代では「コンパをする」というところですが、大正時代には一語で「コンパる」という学生がいたことが分かります。これは「写メールを送る」ことを「写メる」、「Googleで検索する」ことを「ググる」というのと同じ発想です。

 こうして見ると、「写メる」や「ググる」は、いうなれば「伝統的な方法で作られた」若者ことばであることが分かります。「うねる、陰る、牛耳る」のように今では一般的である語も、元々は2~3拍の名詞に「る」をつけて動詞化したものでした。若者ことばには、伝統を忠実に守っている側面もあるのです。

 時代が変われば、ことばも変わります。特に若者ことばのようなごく限られた世代が用いることばは、日々変化を続けています。しかし今回取り上げたように、若者が新たなことばを生み出す方法には、時代を超えた共通点も存在します。次はどのような語が生み出されるのでしょうか。

(石川 創)
2011年9月8日

 

消える「さじ」と広がる「カラオケ」

さじ(スプーン)

 平安時代以降、柄のついた食べ物をすくうための食器は「さじ」と呼ばれ、日本人に愛用されてきました。明治に入ると、「スプーン」という語が使われ始めましたが、しばらくは元来の「さじ」が用いられることの方が多く、たとえば芥川龍之介の「舞踏会」(1919)には「アイスクリイムの匙(さじ)を取つた」という一節が見られます。
 しかし「さじ」という語は次第に使われなくなり、特に戦後はその傾向が顕著になりました。現代では、「茶碗蒸し用のスプーン」のように、和食においても「スプーン」が用いられるようになり、「さじ」はすっかり「スプーン」に追い出されてしまいました。
 料理に用いる「大さじ・小さじ」の名称はいまだに一般的ではありますが、最近では「生クリームを15mlの計量スプーンに1杯」のような表現も一部で見られます。ゆくゆくは、「大さじ・小さじ」も日常のことばから追い出される日が来るのかもしれません。

「さじ」は元々の日本語が外来語にとって替わられた例ですが、その一方で、日本で生まれた語が外国語に取り入れられた例もあります。近年では、「kawaii (かわいい)」や「karaoke(カラオケ)」などがその例です。「kawaii」は、英語の“cute”とは異なる概念であり、特に日本製のマンガやアニメーションについて用いられる場合が多いようです。また「カラオケ」は、「空(から)のオーケストラ」を略して作られた語ですが、今では多くの外国語の辞書に掲載されており、世界中で通用する国際語となりました。外来語「オーケストラ」が和語と組み合わさり、さらに省略された上で外国語に輸出されるという複雑な経緯をたどっています。

 ことばを取り入れるということは、その国の文化を受け入れるということでもあります。日本語と外国語の関係について考える際、「私たちは外国語とどう付き合っていくべきか」というところに目が向きやすいのですが、「私たちの日本語は世界の中でどのように受け入れられているのか」ということも、大変に興味深い問題です。

(石川 創)
2011年7月29日

 

天狗と「小田原の道了さん」

天狗

 妖怪の一つ天狗は主に山に住み神通力によって、様々な怪異を引き起こす恐ろしい存在として知られています。
 しかし、天狗は修験道においては、山のカミとされ修行僧を守護する存在でもありました。現在の山伏姿をした、鼻高天狗や烏天狗は、そうした側面と治道面や迦楼羅面が融合して形作られてきたものなのです。

 神奈川県小田原市近い南足柄市の大雄山最乗寺は「小田原の道了さん」として親しまれ関東を中心に信仰されています。
 ここは曹洞宗の修行道場であると共に、烏天狗(からすてんぐ)を祀っていることで有名で、こんな言い伝えがあります。

赤い鉄の下駄

 最乗寺は、応永元(1394)年、了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師により創建されました。修験道の行者であった道了尊者は、了庵禅師の弟子となり、土木、建築に従事し、五百人力の力量をもって、わずか一年で寺院を完成させました。この道了尊者は了庵禅師が示寂した後、天狗に姿を変えて大雄山山中に飛び去ったと言われています。  以来、最乗寺には烏天狗が祀られ、赤い鉄の下駄も飾られています。

 妖怪とカミの二面性を持つ天狗ですが、日本文化においては、こうした妖怪達のマイナスの力をカミ様として祀り、プラスの力に変換させる特徴があるのです。
 ミシュランガイドで三つ星を獲得して、大人気の観光地、高尾山の薬王院も天狗が祀られていることで有名ですし、天狗以外の龍神やお稲荷さん等の妖怪を祀る神社・仏閣は、全国津々浦々にあります。そうした所を参拝するのも、日本人の心にふれるよい機会になるでしょう。

(佐々木 俊道)
2011年2月7日

 

梅

 梅は中国原産の植物で、奈良時代以前に日本に伝来したと言われます。当初、日本で育てられたのは白梅が主だったようで、奈良時代以前の和歌を収めた『万葉集』には、梅の花の白さと雪の白さとを取り合わせた歌が数多く残っています。

我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
大伴旅人

 これは散る花の美しさを雪にたとえた一首です。「我が園に梅の花が散る。ああ、あれは天界から雪が流れ落ちてきたのにちがいない。」
 平安時代に入っても梅は好まれて貴族の館にも多く植えられました。梅への愛好では次の一首が有名ですね。

 東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな  菅原道真(『拾遺和歌集』)

 菅原道真は死後天神様と呼ばれ、今日では学問の神様として全国の受験生の信仰を集めています。九州の太宰府天満宮には道真を慕って飛んで来たという伝説を持つ「飛び梅」が残っています。道真ゆかりの梅には学問と縁の深い「文雅の木」という一面もあるのです。

 白梅や墨芳しき鴻臚館(こうろかん)   与謝蕪村

 これは江戸時代の俳人、蕪村の句。白梅の「白」に墨の「黒」を取り合わせ、しかも、道真も愛した梅の香りには触れずに、あえて「墨芳しき」と言うあたりがいかにも「俳諧」です。「鴻臚館」は平安時代に京都に設置された外国使節を接待する施設で、今でいう迎賓館のような場所。この句は、中国からの外交使節を迎えた平安の貴族が馥郁とした墨の香りがただよう一室で漢詩の応酬などをしている様子を思い描いてのものです。その庭には文雅の花「白梅」が咲き誇っています。蕪村には、このように過去の歴史を回想し、その一場面を切り取ったような句が他にも多くあります。
 一つの植物が、時代によってどのように文学表現にかかわってきたかを考えてみるのも面白いものです。

 さて、梅の時節は多くの受験生にとっては試練の時期ですね。風雪に耐え、みごとサクラサク四月を迎えられますように。

(三田 誠司)
2011年1月24日

 

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