駒沢女子大学 駒沢女子短期大学

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日本文化の窓

ようこそ!!日本文化 ーオープンキャンパス・オンラインー

8月29日に行なわれた体験授業をご紹介しましょう。(2009年12月10日)

2009年のオープンキャンパスの授業紹介も今回が最終回です。

今日から学ぼう!日本の文化
手紙と日本の文化


心をこめて(当日の授業から) (三田誠司)

 遠く離れた人と文字を通して交流する──手紙。今回は、『万葉集』に残る「手紙」の一例を紹介しましょう。取り上げるのは天平時代の歌人、大伴家持(おおとものやかもち)と大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)との歌のやりとりです。

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 ある時、坂上大嬢から家持のもとへ三首の歌(A~C)がおくられてきます。
  A 玉ならば手にも巻かむを うつせみの世の人なれば手に巻きかたし
  B 逢はむ夜はいつもあらむを 何すとかその宵逢ひて言の繁きも
  C 我が名はも千名の五百名に立ちぬとも 君が名立たば惜しみこそ泣け

 Aの歌は、もしあなたが玉だったら、手に巻きつけておけるのに、あなたは世の人だから手には巻けないのねという内容。相手と離れて暮らす寂しさを訴えています。続くBは、二人が逢う夜はいつだってあったのに、どうしてあの晩会ってこんなに噂が激しくなったのだろうという内容。二人の仲を人に知られたことを気に病んでいます。最後のCは、私の名はいくら噂になっても構いませんが、あなたの名が惜しくて泣くのですという内容。家持の名が恋の噂話として軽々しく扱われることを悲しんでいます。今、大嬢は後悔と不安の中にいます。

 さて、おもしろいのは、この三首に対する家持の答え方です。そのまま掲げてみましょう。
  c 今しはし名の惜しけくも我はなし 妹によりては千たび立つとも
  b うつせみの世やも二行く 何すとか妹に逢はずて我がひとり寝む
  a 我が思ひかくてあらずは玉にもが まことも妹が手に巻かれなむ

 各歌の冒頭に記号をつけておきましたから、お気づきと思いますが、A・B・Cという歌に対してc・b・aの順で答えています。家持はまず、今大嬢がもっとも気にしているCに対応して、私の名など惜しくはありません、あなたとの事でなら千回も噂になったとしてもかまいません(c)と、大嬢の不安を真っ先に解消します。それから、噂の立つもとになった夜のことを、人生は二度あるものでしょうか、いえ、一度きりです、どうしてあなたと会わずに一人寝などできましょうか(b)とうたって、逢瀬を悔やむ大嬢を叱るようになだめます。最後に、こんなに恋しがってなどいないで、本当に玉になってあなたのそばにいたいものだ(a)と大嬢と同じ気持ちでいることを告げて結びます。

 相手が一番に気にしていることに真っ先に対応してその不安を除き、そこから遡るかたちで大嬢をなだめ、安心させています。こういう返事をもらうと、大嬢もうれしいでしょう。

 手紙は返事が難しい。今日ではメールでのやりとりが盛んですね。不用意な返信からトラブルが生じることもあるようです。誤解を生まないようにするには、相手の気持ちを思い浮かべながら返信することが大切でしょう。万葉びとの気配りから学ぶべき点も多いのではないでしょうか。

 

8月16日に行なわれた日本文化学科主催の特別企画をご紹介しましょう。(2009年11月27日)

「心涼しく ~坐禅を体験してみませんか~」


 8月16日(日)、日本文化学科主催のオープンキャンパス特別企画「心涼しく ~坐禅を体験してみませんか~」が、駒沢学園の照心館を会場に開催されました。当日は、1階の修道室で坐禅の心構えの話を聞き、2階の坐禅堂で正しい作法にのっとり、実際に坐禅を体験していただきました。

皆さんも坐禅をして自分を見つめなおしてみませんか?

 

8月21日に行なわれた体験授業をご紹介しましょう。(2009年11月6日)

今日から学ぼう!日本の文化
花と日本の文化


花の美を求めて(当日の授業から) (安藤嘉則)

 「いけばな」の起原は、仏前を荘厳する供花(くげ)に求められています。華道と仏教のかかわりは深く、室町時代の末(16世紀)になると京都の六角堂(頂法寺)の住持であった池坊の一流が伝統芸能としての華道の成立に大きな役割を果たしました。池坊専応は『池坊専応口伝』において立花(たてばな)の理論と技術を体系化し、さらに専応の後を継いだ専栄、初代専好、二代専好によっていわゆる「七つ道具」を用いた立花(りっか)が大成されたのです。この「七つ道具」とは七つの枝のことで、真とよばれる枝を中央に立て、それに副(そえ)•請(うけ)などとよばれる七つの枝をあしらって一瓶の花を形作るのです。

 一方、こうしたフォーマルな立花ではなく、「抛げ入れ花」も茶の湯の成立とともに生まれました。この自由な形の「いけばな」は茶席を飾る花として花本来の自然な姿を表現したもので、これも日本人独特の美意識を伝えています。

 花の美しさをを愛でることは日本人だけではありません。西洋にもフラワーアレンジメントがあります。しかしながら、日本人の美意識を型に凝縮し花伝書としてこれを相伝するという形態となったのは日本独特の文化であるといえるのです。

この日は林有為子先生による実演も行なわれました。

 

報 告(2009年10月23日)

こまじょ俳句こんくーる発表会

 10月11日(日)りんどう祭(オープンキャンパス同時開催)において「こまじょ俳句こんくーる発表会」を行ないました。

 当日は、審査委員長に『源氏物語』の第一人者である秋山虔先生(東京大学名誉教授・駒沢女子大学元教授)をお迎えし、入賞十句と特別賞五句が発表され、それぞれの作品について丁寧な講評をいただきました。四季折々の自然に恵まれた駒沢女子大学のキャンパスと、そこから広がる俳句の世界、そして文学を学ぶことの大切さをお話しくださり、来場者一同は熱心に耳を傾けていました。
(千葉 公慈)

 

8月8日に行われた体験授業をご紹介しましょう。(2009年10月2日)

今日から学ぼう!日本の文化
四季と日本の文化


遺跡に眠る四季(当日の授業から) (小川誠)

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 縄文時代には、現代と同じく四季が存在していました。それを、「春夏秋冬」と呼ぶことはなかったにせよ、縄文人は季節の移ろいを肌で感じ取っていたはずです。暑さと寒さが交互にやってくる、太陽の出ている時間が長くなったり短くなったりする、それにともない、森で採れる植物、海や川で捕獲できる魚の種類が変化していく、そしてこれが繰り返される。縄文時代の人達は、このような自然環境の変化のなかに、ある種の周期性を見出しながら、生活のリズムをつくっていたことが想像されます。

 ところで、縄文人は、現代人にとって意味不明な構築物(記念物)を作っていました。なかでも、環状列石は特に有名です。それは、沢山の石を円形に並べ立てた、いわゆるストーンサークルのような格好をしています。祭祀場説、墓地説などが研究者のあいだで唱えられていますが、何を目的に築造されたのか、実際のところはよくわかりません。

 実は、そのようなストーンサークル状の構築物に、縄文人の四季に対する思いが見え隠れしているのです。例えば、秋田県の大湯遺跡では環状列石が2つ並んで作られています。両方とも大量の石を並べた二重構造をなしており、外帯と内帯のあいだには、真ん中に棒状の石を立てた組石があります。この2つの環状列石の棒状組石を結ぶ線が、夏至の日没線に重なる現象はとても有名です。また、別の遺跡では、環状列石が組まれた場所から遠くの山を眺めると、夏至や冬至の日の出あるいは日の入りと山頂がぴったり重なる等、季節の節目を意識したとしか思えないような造作をしています。

 縄文人が、二至二分(夏至・冬至・春分・秋分)を意識していたことは間違いないでしょう。二至二分は太陽の出没点(日の出と日の入りの地点)の移動を観察することで、容易に確認することができます。北側の折り返し点が夏至、南側の折り返し点が冬至、真東と真西にあたる中間点が春分と秋分ですね。今でこそ、周囲に建物が建ち並び、出没地点を直接見ることが難しくなっていますが、自然の中で暮らし、日の出とともに起き、日の入りとともに休むような生活を送っていた縄文人にとって、太陽の移動は最大の関心事であったと思います。

 日本列島には、季節による自然環境の変化が顕著に存在します。そこでは、古来より、四季をめぐるさまざまな伝統行事が誕生し、今日の生活に根付いてきました。その源は、縄文時代にまで遡ることができるのではないでしょうか。

 

俳句募集のおしらせ(2009年8月)

来て、見て、詠んで!駒女で一句
こまじょ俳句こんくーる開催中


俳句の募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました!

 今年の日本文化学科1年生対象の授業「基礎ゼミ」では、「俳句から広がる日本文化の世界」というテーマから学びをスタートさせました。この授業の夏季休暇課題のひとつは「自然に恵まれた大学の様子を俳句に詠む」です。学生たちの作品発表会を10月11日のりんどう祭で行ないます。

そこで・・・。
あなたも日本文化学科の学生と一緒に俳句を詠んでみませんか?


 参加方法は簡単です。8月・9月のオープンキャンパスに来場し、オープンキャンパスでの駒女の印象などを詠んで投句箱へ入れてください。ひとり何句でもOKです。 審査委員長は『源氏物語』研究の第一人者、秋山虔先生(駒沢女子大学元教授)です。

 10月11日(日)午後2時から、りんどう祭の発表会で優秀作品を発表し、入賞者には粗品を進呈します。

 発表会では秋山先生に駒女の自然についてお話していただく予定です。

 

 

7月11日に行われた体験授業をご紹介しましょう。(2009年8月31日)

今日から学ぼう!日本の文化
旅と日本の文化


往来手形 おうらいてがた と道しるべ (当日の話からの抜粋) (菅原昭英)

 いま日本では、国内に海外に観光旅行を楽しむ人がたくさんいます。観光旅行は、心身のリフレッシュにもなり、視野を広げるチャンスでもあり、未知の経験への期待にあふれています。庶民が観光旅行を楽しむ文化は、日本ではいつごろから始まったのでしょうか。江戸時代には物見(ものみ)遊山(ゆさん)と呼ばれていました。これが出来るようになったのは、戦争のない平和な時代が到来し、それなりに交通路が整備され、経済活動が活況を呈してきたからでしょう。

 庶民の旅行は、もともと信仰のための旅から始まっています。そのひとつは、中世からの伝統をもつ日本回国六十六部です。回国行者として日本全国六十六か国のすべてをまわり、各国を代表する寺社に自ら書写した経典を奉納して歩いたのでした。これを成し遂げるのは一大事業でしたから、その記念碑が、江戸時代になると誇らしげに建てられるようになりました。

 また四国八十八箇所の弘法大師霊場や、西国・坂東・秩父の観音霊場など巡礼が盛んになり、伊勢神宮の「お伊勢参り」や、駒沢女子大の近くでは伊勢原の「大山詣で」などに人気がありました。そして信仰のなかにも、次第に楽しみの比重が増していったのです。

 往来手形というのは、いまのパスポートに相当します。関所を通るにも旅館に宿泊するにも必要でした。氏名・村、旅の目的(巡礼・湯治など)が書かれ、本人の身許を保証したのは、宗門人別制度による菩提寺と村役人でした。旅の途中で行き倒れて命を落とす危険がありました。その場合遺体はその場所のやり方で埋葬していただき、故郷には戻さなくていいなどと記しています。旅には、やはり大きな危険と不安が伴っていたのです。

 道しるべは、旅人に安堵の気持を与えたに違いありません。さまざまな形の石造の道しるべが、江戸時代後半になると日本全国に立てられ、現在もたくさん残っています。安藤広重の版画「東海道五拾三次」にも戸塚や平塚など、道しるべが描き込まれています。

 

6月27日に行われた体験授業をご紹介しましょう。(2009年7月14日)

日本文化ってなんだろう?


しきたりから学ぶ日本の文化(当日の話からの抜粋) (千葉 公慈)

千葉先生

 夏の夜空を彩る星伝説として、古くから日本人に親しまれてきた七夕。そもそも七夕の物語は、およそ紀元前の中国にまでさかのぼります。例えば梁の『荊楚歳時記(けいそさいじき)』には、次のようなストーリーが紹介されています。

 昔、たいへんな働き者の織女と牽牛がいました。天帝の仲立ちによってふたりは出逢い、やがて恋に落ちると今度はまったく仕事をしなくなってしまいました。これに怒った天帝は、織女を連れ戻しますが、しかしふたりの嘆き悲しむ様子をご覧になり、年に一度だけ七夕の夜、天の河を渡って逢うことを許された…という内容です。

 やがて、この伝説に登場する機織りの名手、織女にあやかろうと「乞巧奠(きこうでん)」という行事も生まれ、日本に伝来すると、奈良時代には宮中行事となり、後に民間にもひろく定着します。

 ところで七夕は「五節句」のひとつでもあります。節句は、農耕の節目に神々へ供える物が「節日の供物」であるところから「節供」ともいいます。その日は七夕竹が立てられ、平安時代には「撫子合せ」なども行なわれました。室町時代になると花を並べて神仏に供養する法楽(ほうらく)の「七夕立花会(たなばたりっかえ)」がはじまり、「いけばな」の成立に大きな影響を与えました。

 また七夕はお盆に先立つ祖先の霊を迎える前夜祭であるという折口信夫(1887~1953)の説があります。人家をはなれた機屋(はたや)で乙女が神をまつり、七夕送りを行う「はらえ」の儀式を行ったという「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝承です。そして七夕に収穫された夏野菜は、先祖の乗るキュウリの馬とナスの牛として、現在では盆飾りに欠かせない供養になっています。

 このように中国の物語や「乞巧奠」の風俗が起源となり、これらが伝わって日本固有の農耕文化と盆迎えの信仰などが混交し、現在の七夕というしきたりが成立したのです。

 

5月30日に行われた体験授業をご紹介しましょう。(2009年6月11日)

日本文化ってなんだろう?


源流から探る日本の文化(当日の話からの抜粋)(小川 誠)

小川先生

 日本文化の根底には、縄文時代や弥生時代に育まれた文化が脈々と息づいています。たとえば、コメを主食とする日本人の食生活が、弥生時代に大陸から入ってきた水田稲作の技術に端を発することはよくご存じのことと思います。

 目を縄文時代に転じてみましょう。当時、縄文人は「土偶」と呼ばれる土製の人形を沢山作っていました。土偶は一見、今日の我々の生活と何ら関係のない存在に見えます。しかし、よくよく考えてみると、今でも子ども、特に女の子は人形を使ってよく遊びますね。玩具としての人形ばかりではありません。病気快癒のための願かけ人形、また人形にまつわる怖い話の存在など、思いを込めて作られた人形には不思議な力が宿っているように感じられます。

 もちろん、縄文人の観念世界を土偶から完璧に復元することはできません。ただ、衣食住といった日常の生活とは直接関係のないものを、時間をかけてわざわざ作ったわけですから、そこに何らかの意図があったことは容易に想像できます。土偶は、神(目に見えない力)と人とが交流するための媒体としての役割を担っていたのでしょうか。あるいは、土偶は単なるお守りのような役目を果たしていたのでしょうか。その用途をめぐっては、さまざまな考え方があります。

 縄文時代の土偶と今日の人形、時代がかけ離れているため、見過ごしてしまえば何の関連性も浮かんできませんが、想像を膨らませていくと、そこには、人形制作をめぐる共通した思いが感じられてなりません。

 

 

日本文化学科体験授業ラインナップ

日本文化ってなんだろう?

5月30日(土) 源流から探る日本の文化
6月13日(土) 外国人から見た日本の文化
6月27日(土) しきたりから学ぶ日本の文化

今日から学ぼう! 日本の文化

*7・8月は、2コースの教員が、それぞれのテーマについてお話します。

7月11日(土) 旅と日本の文化
7月25日(土) 笑いと日本の文化
8月8日(土) 四季と日本の文化
8月16日(日) 食と日本の文化
8月21日(金) 花と日本の文化
8月29日(土) 手紙と日本の文化

世界に広がる日本の文化

9月12日(土) 文学の世界
9月26日(土) アニメの世界

上記の内容に関しては、変更となる場合もありますので、ご了承ください。

2008年7月・8月の体験授業は「日本文化再発見」というテーマ で行いました。