

「行雲流水」という禅語をご存知でしょうか。空を行く雲のように、そして大地を流れる水のように、あらゆるこだわりを離れてあるがままに生きる姿を意味する言葉です。ときに修行僧に対して親しみを込めて「雲水さん」と呼ぶこともありますが、日本人はこうした禅の思想などを通して、人間と世界の関わりや人生の歩み方などを考えてきたのです。
駒沢女子大学のキャンパスには、今日も爽やかな風が流れ、学内の日本庭園には涼やかな滝の音が響きわたっています。
この風は、どこからやってきて、そしてどこへゆくのでしょう。そしてこの水は、どこから湧き、どこへ流れてゆくのでしょう。こんな思いをめぐらせながら、風の色を見つめ、水のささやきを聞き分けることができたなら、風景だけではないあなた自身の美しい心が、きっと芽生えてくるはずです。(千葉)

キャンパスの中心に建てられた照心館の前の池で、蓮の花が咲き始めました。蓮は仏典との結び付きが強い植物です。坐禅堂を備えた照心館を背景に、淡紅色の花を咲かせる蓮、まさに絵になる風景といえるでしょう。本学では、このような心和む景色を暑い夏のあいだ見ることができます。

ところで、この池には「大賀ハス」も咲いています。大賀ハスとは、千葉市の縄文時代の遺跡で出土した古蓮の実のひとつを発芽させたものです。植物学者である大賀一郎博士が発見しその育成に成功したので、大賀ハスと命名されました。大賀ハスは根分けされ、現在、多くの土地で見ることができます。ちなみに、本学の大賀ハスは、平成9年、当時の駒沢学園父母の会会長が寄贈されたものです。
蓮の生命力の強さ、縄文の昔より現在まで連綿と続く命の連鎖には驚きを禁じ得ません。大賀ハスの花を見るたびに、太古のロマンの世界に引き込まれるのは、私一人ではないはずです。(小川)

本学園照心館前 2008年6月4日撮影
6月に入り、緑はいっそう濃くなりました。今年は例年より1週間以上も早く梅雨入りしたとのことですが、駒沢女子大学のキャンパスでは、雨の中に赤みがかったピンクのサツキの植え込みが目に鮮やかです。サツキはツツジ科の一種で、旧暦の皐月(さつき)(太陽歴6月ごろ)に咲くのでこう呼ばれているそうです。花の盛りには一直線に刈り込まれたサツキのピンクの花が図書館前の広場と池の間を彩ります。
一ヶ月ほど前には同じツツジ科のオオムラサキが学園の正門両側の土手一面を紫がかったピンクに染めていました。キャンパスを囲む樹林で高い声を張り上げていたウグイスも「チョットコイ、チョットコイ」とけたたましく叫ぶコジュケイに舞台を譲りつつあります。(星野)

日本文化学
科三年文野さん手作りのお菓子です
夏目漱石は『草枕』で「あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ」と、羊羹を描写しています。また、『吾輩は猫である』では、藤村という店の羊羹を客の迷亭が「無雑作に頬張る」様子が描かれています。『坊っちゃん』の清が松山に行く主人公に「越後の笹飴が食べたい」と言うシーンが印象に残っている人も多いことでしょう。
羊羹や笹飴だけではありません。漱石の小説には、さまざまなお菓子が登場しています。
『門』という小説を例にあげてみましょう。この小説には都会の片隅でひっそりと暮らす夫婦の日常生活が描かれているのですが、主人公の宗助が大家の坂井からお礼にもらった菓子折の「唐饅頭を頬張りながら」妻の御米と話をしている場面をはじめとして、坂井の家を訪問して「護謨毬(ごむまり)ほどな大きな田舎饅頭」をごちそうになったり、「一丁の豆腐くらいの大きさの金玉糖の中に、金魚が二匹透いて見える」珍しいお菓子を、おめでたいものだからとすすめられたりする場面など、お菓子が登場するシーンが数多くあります。
このような例を見ていると、お菓子が夫婦二人の生活を外の世界と結びつけるパイプの役割を果たしているようにさえ思われます。お菓子は甘い物好きだったと言われている漱石ならではの小説の小道具だったのかもしれません。
新茶の香りを楽しみながら、この季節に「お菓子」と言うキーワードで漱石の小説を読んでみるのも興味深いことではないでしょうか。(渋谷)
※小説の引用は『新潮文庫』による