『追善記念日』の式典が行われました。

9月29日は道元禅師さまのご命日です。駒沢学園ではこのご命日にちなみ、毎年追善記念日を行います。
「追善」というのは、亡くなった方のご冥福を祈るため、残された人たちが後から追って善い行いをなすことです。善い行いというのは、読経をしたり、お花をささげたり、かぐわしい香りをそなえたりする(焼香)ことです。
この1年間に駒沢学園関係者で、お亡くなりになられた方々を供養し、その御魂が安らかであることを祈ります。

日時 2019年9月27日(金)8時45分開式(今年は29日が日曜日のため27日に挙行いたしました)
場所 駒沢学園記念講堂
  • 大学・短大・高校・中学・幼稚園の各代表者がお花をささげます
    大学・短大・高校・中学・幼稚園の
    各代表者がお花をささげます
  • 講話(安藤嘉則教授)
    講話(安藤嘉則教授)

式典では安藤嘉則教授より次のような講話がありました。

私たちは人として生まれた以上、死別という悲しい事実に誰しも向き合わなければなりません。確かに死は永遠の別れを意味します。しかし、亡くなった方に対して、毎朝、仏壇の故人の位牌に向き合い、「おかあさん、おはようございます」と挨拶するとき、確かにその人の心の中におかあさんは存在するのです。肉声は聞こえなくとも、姿は見えなくとも心と心で繋がっているといえるのではないでしょうか。
先日私はお寺で73回忌の法事のおつとめをしました。実は本来、73回忌という法事はありません。しかし法事を依頼された方は、自分が小学生であった70年以上も前に亡くなった、おじいさんにとても暖かく面倒をみてもらった、様々な思い出が忘れられず、そのおじいさんへの感謝の思いから、どうしてもおじいさんの供養をお願いしたいとのことでした。その方にとって、70年以上もの間、おじさんは心の中に生き続けてきたといえるのです。
今、親が子に対して、あるいは子が親に対して、ひどいことをし、挙げ句の果てに殺めてしまう事件が頻繁に報道されています。その場合、親子としてこの世に存在していても、それは親子ではないのではないか、逆にどちらかが亡くなっていても、心の中で、かけがえのない親子の関係が築かれているのではないか、そんな思いがいたします。
また先日、ある会社の社長さんがお寺に来て、大きな契約の日に先代の社長、といってもお父さんですが、その父の位牌に向かって今日の契約がうまくいくよう手を合わせたということでした。ところが、こうした行為に対して、西欧の人は違和感を覚えるそうです。つまり西欧の場合、こうした大きな契約の成功を祈るとき、亡くなった人に対して祈るのではなく神に対して祈る、つまり神のご加護を祈るとのことです。商売の成功は故人ではなく、あくまで力ある神様なのでしょう。しかし日本人は亡き人に祈り、亡き人を心の拠り所にして今日を生きている方が確かにいらっしゃるのです。
そうした日本人の宗教的心情が反映された言葉が「おかげさま」という言葉です。これは「かげ」に対して「お」と「さま」をつけて尊んでいるのですが、この「かげ」というのは、先に来世に旅立った亡き人たちをはじめ、さまざまな深い意味が込められています。
「合格おめでとう」といわれたら、今の若い人も「おかげさまで」と答えることでしょう。本当は自分が一生懸命勉強したから合格したのですが、それでも「おかげさで」というのは、自分も勉強したけれどもどこかで、自分をでささえる「かげ」の存在が無意識に反映されているのかもしれません。
さて本日の追善記念日にあたり、どうか皆さんは本学園の建学の精神のもとを気づいた道元禅師に感謝するとともに、身近にいらっしゃる家族の方、そして「かげ」の存在であるご先祖様に対して感謝の念を持てる生徒さんになっていただければと思います。

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