山上 曹源(1878〜1957)
山上曹源は、12歳で仏門に入り、曹洞宗第一中学林(現世田谷学園)、曹洞宗大学林(現駒澤大学)に進学した。同大学林卒業後は、インド、セイロン(現スリランカ)へ留学、カルカッタ大学大学院などで梵語、インド哲学を学ぶだけでなく、同大学院で講義を担当するなど、国際感覚豊かな仏教学者であった。また、『国訳大蔵経』編纂では中心的な役割を果たすなど、日本を代表する仏教学者の一人でもあった。
略年譜
| 1878年(明治11) | 佐賀県藤津郡能古見村字大野(現鹿島市大野)に誕生 |
|---|---|
| 1889年(明治22) | 佐賀県嬉野市の永寿寺にて出家得度 |
| 1897年(明治30) | 曹洞宗第一中学林に入学(1900年卒業) |
| 1900年(明治33) | 曹洞宗第二中学林教員に就任(1903年迄) |
| 1903年(明治36) | 曹洞宗大学林に入学(1906年卒業) |
| 1906年(明治39) | 曹洞宗海外研修生としてインド留学(1913年迄) |
| 1907年(明治40) | カルカッタ大学大学院にて梵語、インド文学、インド哲学を研究 |
| 1914年(大正3) | 曹洞宗大学教授に就任 |
| 1919年(大正8) | 曹洞宗大学学監に就任 |
| 1927年(昭和2) | 駒沢高等女学院を創立 |
| 1928年(昭和3) | 駒沢高等女学校・駒沢家政女学校校長に就任 |
| 1934年(昭和9) | 埼玉県川越市の蓮光寺住職に就任 |
| 1938年(昭和13) | 四誓寮を開設 |
| 1943年(昭和18) | 駒澤大学学長に就任(1945年迄) |
| 1957年(昭和32) | 自宅にて逝去、享年80歳 |

校歌と校旗
職員室での山上曹源
卒業生に贈られていた直筆の盾
